/哲学はただ世界を問うだけではありません。むしろ我々自体が最大の謎です。このことは、アリストテレスからローマ時代に気づかれました。そこでは、我々はどう生きるべきかが問われ、イエスもこの問いを取り上げました。/
「後継ぎがいても、いなくても、うまくいかないものだ」
この政治的空白の中、ユダヤ人はサドカイ派、パリサイ派、エッセネ派に分かれました。サドカイ派は、上流の現実主義者で、ローマ人との協調を探りましたが、パリサイ派は、民衆の原理主義者で、独立を要求しました。エッセネ派は、争いを嫌い、荒野に独自の新たな集団を設立しようとしました。彼らのほかに、熱心党はローマに対する武装闘争を計画していました。
「世界の中での身の程を知らない人々にとって、国際主義者は裏切り者に見えるのでしょう」
この混乱した状況の中で、洗礼者ヨハネが、28年に説教を始めました。彼によれば、神はもうすぐ再び人々を選ぶため、火の洗礼を我々に課すとか。だから、それに備えて、まず過去を水で浄め、ただちに未来に回心すべきです。
「それは、対ローマ戦争の脅威の中で、ロードス島のストア派プラトン主義をユダヤの預言の伝統に引き込んだようなものですね」
しかし、彼は、マカベア家の娘とヘロデ・アンティパスの再婚を批判し、斬首されました。その後、ヨハネの弟子だか、従兄弟だか、イエスが、独自の宣教活動を始めました。彼の考えは、山上の垂訓に要約されています。それは、三点、福音の逆説、律法の徹底、神人の類比で構成されていました。
まず、福音の逆説は、不幸な人ほど祝福される、という良い知らせです。神は貧者、病人、孤独な人たちとともにつねにおられ、彼らは天国で必ず報われる、と彼は言います。また、律法の徹底とは、律法の文言に従うだけに甘んじるのではなく、そこにある神の意図に従って行動することを意味します。そして、神人の類比は、あなたが人を救えば、神もあなたを救う、ということです。
「不幸な人ほど、神の御心を理解しているのだから、神に代わってそれを実行すべきだ、という考え方ですよね?」
それどころか、彼らの行動でみなが神を思い出して、同じようにすれば、神無しでも神の御業が実現する、ということです。このようにイエスは、神にすがるだけの宗教を、積極的なものに置き換えました。この神を中心とした生き方は、他人を遠ざけ、自分の幸せばかり気にする犬儒派、懐疑派、快楽派、ストア派とは対照的です。
「それはプラトンの哲人王問題の解決かも。しかし、人々を目覚めさせる最初の一人として、イエスは死ななければなりませんでしたね。。。」
哲学
2023.12.30
2024.03.05
2024.03.14
2024.05.29
2024.06.23
2024.08.05
2024.09.10
2024.09.14
2024.09.19
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。