/哲学はただ世界を問うだけではありません。むしろ我々自体が最大の謎です。このことは、アリストテレスからローマ時代に気づかれました。そこでは、我々はどう生きるべきかが問われ、イエスもこの問いを取り上げました。/
「彼は遠征中に衝撃的な現実をたくさん見たのでしょう」
時代の混乱に翻弄されたエピクロスは、デモクリトスの哲学を学び、世界が隙間だらけであると気づきました。そこで彼は快楽派を主張し、アテネで仲間たちと共同生活を始めました。とはいえ、彼は快楽を追求するよりも、政治や仕事、恋愛などの面倒を避け、世界の狭間に隠れて生きることをモットーとしました。
「四世紀のユダヤ人やローマ人はどうしていましたか?」
エズラやネヘミヤは総督としてエルサレムに派遣され、エルサレム神殿を再建し、ユダヤ教で統一しようとしましたが、国際化に抵抗するのは難しく、せいぜい聖書冒頭の五書、律法をまとめるのがせいぜいでした。そして、アレキサンダーの後、ユダヤ人はむしろヘレニズムに吸収されました。一方、ギリシア人同士が争い、アレキサンダーが東征している間に、ローマ人は北のエトルリア人、南のギリシア人を征服し、イタリア半島に領土を拡大しました。
ストア派
フェニキアの商人ゼノンは、犬儒派に学びましたが、独自の哲学を発展させ、やがてアテネのストア・ポイキレ(彩色柱廊)でストア派として 独自の講義を行うようになりました。犬儒派と同様に、彼は美徳だけが高貴であると考えましたが、富、名声、美しさなど、善でも悪でもないどうでもよいもの、「アディアフォラ」は求めも避けもしませんでした。彼は理性神を信じており、それが私たち自身の中で揺るぎない美徳をもたらす、と主張しました。
「犬儒派、懐疑派、快楽派はあまりにも奇抜で、人々はストア派のほうが受け入れやすかったでしょう」
そう、それはギリシア人だけでなく、地中海の多くの人々にも影響を与えました。とくにマケドニア王アンティゴノス二世は、多額の寄付をしてストア派を支えました。前272年、ローマ人はシチリア島を征服したフェニキア人と戦争を始めました。ギリシア人もエジプトと組んで前267年に再びマケドニアに反乱を起こしました。
「ペリクレスのように、ローマ人と協力してマケドニアにまた挟み撃ちを計画したのかな?」
戦争を避けるため、ストア派はすぐにアテネからロードス島に移りました。しかし、そこで彼らはプラトン主義の色合いを帯びるようになりました。彼らによれば、世界は神のもとに戻るために大火を繰り返さなければならず、私たちの魂は星の近くか、苦しみを抱えた地上の体の中でそれを待たなければなりません。対照的に、アテネは敗北し、決定を回避して懐疑派の判断中止に陥りました。
哲学
2023.12.30
2024.03.05
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2024.09.14
2024.09.19
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。