アルゼンチン:明日を映す地球の裏側

2023.09.20

ライフ・ソーシャル

アルゼンチン:明日を映す地球の裏側

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/どこかで戦争が起これば、関わらなかった国は、思わぬ好景気の恩恵を受ける。しかし、この好景気は自力で掴んだものではなく、それでいったんバラマキ政策が膨れ上がってしまうと、国民の自主性無き依存体質を生み、その後、国債増大と通貨下落に物価上昇、その破綻、緊縮管理経済と反政府暴動を引き起こす。/

アルゼンチン、なんて言ったって、タンゴしか知らないという人も多いだろう。しかし、それは世界の国々の未来の姿かもしれない。

むしろ豊かな国だ。しかし、それが災いした。大航海時代にスペインが征服して以来、大草原地帯「パンパ」での農牧業モノカルチャーで、西欧の出張所、首都ブエノスアイレスと共依存関係にある。ナポレオンによってスペイン王が引きずり下ろされたのをきっかけに、1816年に独立。しかし、代わって英国が進出して、西欧から移民が大量に流入し、事実上の植民地として繁栄したものの、なまじ農牧業輸出が好調であるために、工業への産業革命は起きなかった。くわえて、第一次世界大戦でも中立を貫き、戦火焦土を逃れて来た、余裕と教養のある中産階級以上の移民を多く受け入れ、ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれるほどの洗練された発展を遂げる。しかし、それは同時に、地方の独立農牧民の没落、都市労働者化を意味した。

1929年の世界恐慌で都市中産階級が勢力を失うと、農牧業輸出で回復を図ろうと、対英追従策に傾倒。第二次世界大戦では、親英派と親独派で国内分裂。43年、親英派将校団による軍事クーデタで、工業化を訴えて都市労働者の支持を得たペロン派が台頭。戦後、こんどは米国が介入するも、46年、ペロンは大統領に。おりしも、焦土となった西欧への農牧業輸出によって資金は潤沢にあり、ナショナリズムと急激な工業振興策、福祉拡大策を採って、その妻エビータとともに絶大な人気を誇ったものの、成果は出なかった。それどころか、1950年は資金も尽き、農牧業軽視で地方も疲弊。このため、52年の再選時には農牧業改革、対米追従に方針転換。教会とも対立して、55年の軍事クーデタで追放されてしまう。

軍事政権は、富裕層や地主層を基盤に、経済再建のため、賃金抑制と外資導入を図り、これに抵抗するペロン派残党を弾圧するも、ペロン派は都市労働者だけでなく地方農牧民も取り込んで、階級闘争の色合いを強める。とくに、66年のクーデタで政権を取ったオンガニーア将軍は「アルゼンチン革命」と称して、テクノクラート主導で外資工業を呼び込み、3%前後の安定成長路線に乗せる。しかし、世界的な学生運動や極左集団の波がペロン党を過激化させ、その暴動の鎮圧に苦慮。73年には、ペロン党を政権に取り込む「国民大合意」で収拾を試みた。

こうして、ペロンが政権に返り咲くが、翌74年には心臓病で死去。妻イザベルが初の女性大統領となるも、極左化したペロン党を抑えられず、76年、弱腰の彼女に代わって、軍事クーデタでビデラ将軍の独裁制が実現し、「汚い戦争」で反体制派数万人を徹底的に処分殺害する一方、アルゼンチン革命路線を踏襲して、テクノクラート主導、外資工業誘致、自由主義市場経済での「国家再編成」を図る。この結果、インフレ・物価高騰は止まらず、貧富格差も拡大、対外債務も増大。経済成長もマイナスに陥る。81年、後を継いだガルティエリ将軍は、国内不満を外にそらすべく、英国が実効支配していた沿岸のフォークランド島へ侵攻。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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