高齢期の「選択した孤独」と「意図せぬ孤独」

2023.06.28

ライフ・ソーシャル

高齢期の「選択した孤独」と「意図せぬ孤独」

川口 雅裕
NPO法人・老いの工学研究所 理事長

「孤独はよくない。できる限り交流や社会参加をしましょう」は、正しいか?

「孤独」や「孤立」は、高齢者に限らずですが現代社会の問題となっています。特に高齢者については、孤独が健康に悪影響を及ぼすことがいくつもの研究によって明らかになっていますし、高齢者を狙った犯罪の増加、地震や豪雨災害時の対応、孤独死などが具体的な問題として挙げられます。

とはいえ、「孤独はよくない。できる限り交流や社会参加をしましょう」と言うと、必ず「一人がいい。人に関わるのは面倒だ」という声が返ってきます。この年齢になって、気が合わない人に会ったり、気を使う場に出たりするのは勘弁してほしいという意味ですが、確かにそれもよく分かります。

現役時代には、仕事や家事、子育て、近所付き合いなどで嫌なことがあってもしなければなりませんし、気の進まない人や場面から逃げるわけにはいかないことが多いものですが、高齢期になるとそれらがなくなってきます。だからストレスが減少し、自由や幸福を感じやすくなるという面があります(高齢期の主観的幸福感の向上を説明する「離脱理論」と呼ばれます)。

確かに、せっかく嫌なことをしなくてもよくなったのに、また「人に会おう」「場に行こう」と言われるのですから「勘弁してくれ」となるのは当然かもしれません。

大事なのは、その孤独が“自分で選択したものかどうか”であると考えます。

皆で大いに盛り上がった後に心身の疲労を感じるとき、読書や創作に没頭したいとき、何かを熟考したいときなど、「物思いにふけりたい」「一人になりたい」という欲求は誰にでも生じます。そんなとき、一人になれない、ずっと見られたり話しかけられたりしているような環境はつらいでしょう。

他者から孤独に見えたとしても、それが「一人になりたいときに、一人になっている」のであれば、何の問題もありません。離脱理論から考えても、「選択した孤独」は尊重すべきです。

問題は、交流したいのに一人でいるしかない、自分で選択したわけではないのに常に一人になってしまっているという「意図せぬ孤独」です。

これには、「周囲に人が少なく、会話や交流をする相手が見つからない」「集いの場はあるが、距離が遠く不便である」といった環境が原因であるケース、交流の場や機会に関する情報提供や、誘ってくれたり、とりなしてくれたりする人の不在という人材不足が原因であるケース、そして参加する意欲や勇気の不足、あるいは場への不適応といった本人が原因となっているケースがありますが、このような「意図せぬ孤独」に対するケアこそが、解決すべき課題といえるでしょう。

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川口 雅裕

NPO法人・老いの工学研究所 理事長

高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。

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