/この数年、コロナ騒ぎで中止されていた盆踊りも、今年はようやく各地で再開されるらしい。だが、みんなで踊れない音頭は、音頭ではない。亡くなった人々、いまともにある人々、夏の夜、音頭に身を委ねて、人の慈悲を思い出すのでなければ、盆踊りではない。/
武家だのなんだの、さまになる話が多い江州音頭と違って、河内音頭が語るのは、田舎の貧乏侠客など、しょーもないクズたちのしょーもないクズ話だらけ。しかし、彼らこそが、まさに地蔵の救うところ。盆踊り、子どもの地蔵盆において、ろくでもないまま亡くなった市井の人々、そして、ろくでもないまま今日を生きている人々が輪になって、たがいを思いやり、知る人、知らぬ人を招き入れ、ゆっくりと櫓を踊って回る。若いころは寄席にレコードに「座敷音頭」で振り切って飛ばまくっていた菊水丸も、いまや還暦で円熟味を増し、櫓(やぐら)に上れば、優しく、ゆったりと、子どもたちでもいっしょに踊れるように目を配る。(いまも後半はアップテンポの「夜をぶっとばせ」などだが、ちょっとしんどそう。)
この数年、コロナ騒ぎで中止されていた盆踊りも、今年はようやく各地で再開されるらしい。だが、みんなで踊れない音頭は、音頭ではない。そして、盆踊りは、見世物のダンスではない。亡くなった人々、いまともにある人々、夏の夜、音頭に身を委ねて、人の慈悲を思い出すのでなければ、盆踊りではない。盆踊りとは何か。音頭とは何か。百派千人も上等。世界に目を向け、多様なチャレンジも必要だ。だが、一櫓万人、万舞一心。みなでその原点を思い出そう。
解説
2023.01.22
2023.03.31
2023.04.12
2023.06.03
2023.06.22
2023.09.01
2023.09.20
2023.09.23
2023.10.28
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。