/この数年、コロナ騒ぎで中止されていた盆踊りも、今年はようやく各地で再開されるらしい。だが、みんなで踊れない音頭は、音頭ではない。亡くなった人々、いまともにある人々、夏の夜、音頭に身を委ねて、人の慈悲を思い出すのでなければ、盆踊りではない。/
その彼を支えていたのが、作曲家の和田香苗。村田英雄の「祝い節」(66)のような音頭から、後に女優となる扇ひろ子の演歌風歌謡曲のはしりの「新宿ブルース」(67)、和製ポップスのダイナマイト娘、弘田三枝子の「恋のクンビア」(65)、さらにはアニメ『ハクション大魔王』のサブテーマ曲「アクビ娘」(69)など、次々とヒットを飛ばしていた。彼の曲は、どれもかなりパーカッシヴで、洋楽の影響を強く受けている。
このころ、若者の間では、エレキギターが大流行。アジアツアーで成功した米国のベンチャーズ(59~)をはじめとして、これに対する英国のシャドウズ(58~68)、海のない米国中西部のサーフサウンド、アストロノウツ(61~68)などが活躍。日本でも、65年に加山雄三が『エレキの若大将』を当て、ビートルズやプレスリーも加わって、一大洋楽ブームに。その洗礼を受けた八尾の岸本少年は鉄砲門下で学び、おりからのマンザイブームには目もくれず、河内家菊水丸(1963~)として、84年、エレキやドラム、キーボードも交えた新スタイルの伴奏に乗せて歌う時事ネタの「新聞詠み」(しんもんよみ)を復興。若手ながら、寄席に、盆踊りに、引っ張りだことなっていく。
河内音頭の源流
とまあ、かような寄席やレコード、いわゆる「座敷音頭」の表面的な流れで、河内音頭は江州音頭からできた、などと書いている識者や本が少なくない。が、近年、この通説には疑問が出ている。新スタイルの河内音頭の最先端を走り抜けてきた菊水丸からして、通説は信じていない。彼は、天才的なエンターテイナーであるだけでなく、膨大な資料を収集し、それらとみずからの歌いの経験とつきあわせていく実証的な研究者でもある。
和田香苗も、じつはなかなか勉強熱心で、寄席やレコードで先行するリズミカルな江州音頭や浪曲音頭を取り込んで鉄砲節に仕立てたのだろう。だが、彼は愛媛の出身で、土着で踊られてきたホンモノの河内音頭を知っていたわけではない。そして、いま、光三郎や菊水丸による河内音頭のメジャー化から取り残されながらも守られてきたものとして、交野節(河内北部の枚方交野の本調河内音頭)や流し節(河内中央部の八尾の正調河内音頭)が注目されている。
交野節は、一節七七七五七五拍に合いの手が入る厳格な定型音頭で、アドリブやクドキも無し。明治に、江州音頭に対抗して、最初に「河内音頭」を称した歌亀節は、下町で当たっていた浄瑠璃や落語をそのまま農村で再話すべく、巧妙に字余りを半拍で語り込んでいるが、リジッドな交野節は、それよりもあきらかに形式的に古い。また、交野節の「提灯踊り」を踊るのは、本来は各家の長男に限られ、盆踊りとしての祖霊追悼を守っている。左右にくにゃくにゃする12ステップのループで、本来は踊り手たちが踊りながら合いの手を入れる。念仏踊りの南無阿弥陀仏六字のシンプルな6ステップに基づくリズミカルな江州音頭の踊りと違って、交野節の踊りは手数が倍であるために、太鼓が入るとはいえ、はるかにゆっくりと流れるような歌いとなっている。
解説
2023.01.22
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2023.06.22
2023.09.01
2023.09.20
2023.09.23
2023.10.28
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。