河内音頭の原点回帰:盆踊りの慈悲

画像: 常光寺の地蔵盆

2023.06.22

ライフ・ソーシャル

河内音頭の原点回帰:盆踊りの慈悲

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/この数年、コロナ騒ぎで中止されていた盆踊りも、今年はようやく各地で再開されるらしい。だが、みんなで踊れない音頭は、音頭ではない。亡くなった人々、いまともにある人々、夏の夜、音頭に身を委ねて、人の慈悲を思い出すのでなければ、盆踊りではない。/

一方、流し節は、南北朝の戦乱で焼失した八尾の常光寺を再建すべく、1385年、山城の国から木津川、淀川を経て、河内を縦断していた旧大和川へ材木を流して運んできた際の木遣り(きやり)音頭が元だとされるのだが、「はー、やれこらせ、どっこいせ」という合いの手などのほか、その節回しは、古いとされる交野節を含めて、その後のいわゆる「河内音頭」とは似ても似つかない。

ただ、その踊りは、4拍目と10拍目に拍手が入る10ステップのループで、現在の河内音頭も、半拍2拍手で終わる10ステップのループ(「手踊り」)、もしくは、4拍目と9拍目が拍手になる10ステップの後に毎度半拍拍手3つが入って、交野節と同じ12ステップ相当のループ(「豆徒歩(まめかち)」)。つまり、歌は似ていないが、流し節から現在に至るまで、10ステップの踊りは引き継がれている。それも、流し節からして、この10ステップと七五調の歌いは合ってはおらず、ましていまの河内音頭となると、クドキも入って、かってに伸びるので、ポリリズムのまま、踊り手は、歌も合いの手も関係なく、ただループの方を守り続ける。つまり、河内音頭とは、音頭取りの曲や節回し、合いの手ではなく、名も無い地元の大勢の人々の、この10ステップの踊りそのものなのだ。

しかし、この奇妙な盆踊り独特のゆっくりゆらゆらした10ステップの踊りはどこから来たのだろうか。これは、江州音頭などの南無阿弥陀仏の六字6ステップの念仏踊りとは数が合わない。ちなみに、「東京音頭」も、かっちりした近代的な四拍子の曲にもかかわらず、踊りは10ステップだ。広く世界を見渡すと、アラブにも古くから10拍の「サマーイ」と呼ばれるリズムがあり、ベリーダンスなどでも用いられている。そして、遠い昔の天平時代、胡人(中央アジアのソグド人)などがシルクロードでやってきて、日本に舞楽を伝えている。以前、イラクを訪れた菊水丸は、実際、そこで河内音頭にも通じる歌のコブシを聞いて驚いたという。そもそも、先祖が帰るというお盆の習慣は、じつは仏教行事ではなく、真夏の満月にあの世の扉が開くという中国の信仰に基づくものであり、ひょっとするとかぐや姫や月の砂漠の話ともつながっているのかもしれない。


盆踊りの慈悲

河内音頭にかぎらず、ちかごろ、よさこいだの、ソーランだの、エイサーだのも、今風のリズムに変えて、若い人たちが奇抜な格好で独創的な「ダンス」を披露するのが、はやりだ。しかし、そのさきがけとなった河内音頭は、いまむしろ原点回帰を模索している。流し節が歌われる八尾の常光寺は、地蔵を祭る。地蔵は、シャカの入滅後、ミロクの到来まで、あえてみずからの成仏を絶って六道を回り、衆生の救済を本願とした。そして、とくに、まだ成仏するには徳の足らない子どもたちを守ろうとしている。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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