放置されている死の問題
何といわれようと、『命の尊厳』は究極のところ、その人のもの、本人のものです。なぜ日本では、法制化の機運さえもないのでしょうか? 日本でも、欧米の国々のように『終末』を迎えたときの『尊厳死』や『安楽死』の法制化を検討すべきです」
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このように、自分の死に向き合い、“死に方”を考える高齢者が増えてきたのに、それを支える仕組みの検討は遅々として進んでいないのが日本の現状といえるでしょう。
高齢化の進展に対応すべく、介護保険制度の導入、地域包括ケア体制の構築、年金制度改定、定年の延長、高齢者住宅の整備、通いの場などをつくることによる社会参加の促進など、さまざまな施策が打たれてきましたが、すっぽり抜け落ちているのが「死」に関する問題です。何度か政治家が口にしたことはありましたが、物議を醸して、しばらくすれば忘れられる…の繰り返しで、超高齢社会のテーマの一つとして「死」が国会などでまともに取り上げられることはありませんでした。
延命治療を拒否して、「平穏死」「自然死」を実現するための「リビング・ウイル」(自分の意思を記しておく事前指示書)を推進してきた「日本尊厳死協会」の登録者も、2002年に10万人を突破してからは横ばいのようで、これも公的な議論をほとんどしてこなかった結果なのかもしれません。
「死に方は生き方で決まります」とは、105歳の天寿を全うされた医師、日野原重明さんの言葉。いつか必ず訪れる自分の死を見つめ、「どのように死にたいか」を考えることによって、生き方をよい方向に変えていくことができるという意味です。
また、スティーブン・R・コヴィー氏が著した「7つの習慣」には、「あなたは自分の葬儀で、誰にどんな弔辞を読んでほしいか」という問いがありました。人生の終わりをイメージすれば、それまでの期間を、目的を持って有意義に生きることができるというメッセージです。
そう考えると、ここ数年、目に見えて増えてきた趣味や学び、運動などに取り組む活動的な高齢者や、住み替えなどで環境を変えて人生のリスタートをする人たちは、漠然とでも「死」をイメージしている人たちなのかもしれません。国民的議論や法制化には至っていないものの、それを待たず、自発的に死に向き合おうとする高齢者が増加していることで、人生終盤の暮らしの質が向上しているのだとすると、「終活」は超高齢社会の活力に、大いに貢献していることになるといえるのではないでしょうか。
高齢社会
2022.09.29
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NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。