サブカルチャーの秋風の寒さ

画像: 比較のための引用

2022.11.02

ライフ・ソーシャル

サブカルチャーの秋風の寒さ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/サブカルは、爆発的だが、局所的で寿命が短い。もちろん、それを後生大事に生きていく、というのは、その人の勝手だが、そんなものに限られた社会資源をいくら注ぎ込んでも、再ブームなど起きない。それについていまさら語ったところで、いまの若者は、自分たちのことで忙しい。/

ハイカルチャーに対するはサブカルチャーだが、世界大戦後、これがポップカルチャーとなることで、前者をしのぐ地位を得た。前者は、伝統に連なるが、後者は、大衆と繋がる。目先、カネになるのは、後者だ。伝統はカネを出さないが、大衆はカネを出す。

そして、儲からないことをやる意味は無い。それで、この潮流がアカデミックな世界にも入り込んで、いまや大学もポップカルチャーだらけ。そのうえ、文化に対する価値基準そのものがポップになって、おもろない、売れてない=くだらない、いらない、となる。それで、カネにもならんハイカルチャーなんか大学で止めたらええ、とまで。

きっかけは、19世紀末以来の富国強兵の義務教育。字も読めん、計算もできんようでは工員や兵士としても使えん、ということで、とにかく国民全員を強制的に徹底して教え込んだ。かといって、教科書なんかがおもしろいわけがない。とはいえ、ややこしい歴史的伝統背景の基礎知識が無いとわからないようなものなど、歯が立たない。そのわりに、工員や兵士には、待ち時間がやたらある。そこで、暇つぶしの娯楽としてのサブカルチャー産業が爆発的に流行した。

いわゆるパルプフィクション(ザラ紙雑誌物語)だ。SFやミステリなどの単純な勧善懲悪物語になっていて、おなじみのヒーローがとりあえず勝ってすっきりするが、また次なる危難の影が、でひっぱるというもの。これが映画館のBムービー(短編を組み合わせるプログラム映画)となり、戦後、そのまま雑誌の連載マンガやテレビの細切れ番組へ。徴兵や進学、就職でそれぞれの本来の地元の伝統文化から切り離された若い世代は、これが新たな共通話題となった。

続きものではあるが、制作順どおりに配給できるとはかぎらない。そのために、それぞれのエピソードは一話完結で、伏線はその中で回収解決するのが原則。ところが、それでもエピソードが累積すると、複雑に入り組んだ、ひとつの物語世界を確立していってしまう。過去のいきさつとの辻褄合わせ(コンティニュイティー)で、展開の幅が狭められていく。もしくは、やたら登場人物や舞台世界が広がって、物語としての焦点が散漫としてくる。おまけに、一部のカルト的なマニアがやたらマウンティングしたがるものだから、もはや新規のファンが参入せず、ブームも去って、やがて打ち切り。もしくは、いったんシリーズを全チャラにしてリセットし、パラレルワールドだのなんだの理屈を付けて、また新しいシリーズに切り替えなければならなくなる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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