可能世界論vs置換世界論:ルービックキューブからの思想

画像: 純丘先生御愛用の品々

2023.05.13

ライフ・ソーシャル

可能世界論vs置換世界論:ルービックキューブからの思想

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/可能性は無限かもしれない。だが、現実は閉じている。結局のところ、変革は置換にすぎない。だから、まず守るべきものを待避して保護。それから行動。そして、その結果で崩れたものや待避していたものを新たな状況に再適合させる。閉じた置換世界では、この三つのステップが必要だ。/

君たち若者には無限の可能性がある、などと言う。また、チンケなSFでも、ほんの小さな変更がバタフライエフェクトでまったく別の可能世界を開く、とか、タイムマシンで若い頃に戻って、別の人生をやり直す、とか。

一方、百人一首には、祟りで有名な崇徳院の「割れても末に逢わむとぞ思ふ」という歌がある。滝川が岩に当たって分かれても、その先でまた合流する、という情景を詠んでいる。言葉づらで恋の歌を思われているが、百人一首に採られたころ(承久の乱の後)の盛者必衰の呪いと気づくと、なかなかに恐ろしい。また、朝、玄関を出るのは右足から、と決めていて、まちがって左足から出ると不吉だ、などと思う強迫神経症があるが、路地を曲がるころには、結局、いつもの足取りだったりする。つまり、可能世界などと言っても、かならずしも大きく世界が分岐して、まったく違った人生になるわけではない。

数学は役立たない、つまらない、面倒くさい、と言う人は少なくない。だが、それは高校あたりまでの算術だから。本当の数学は、広義の「数」一般の性質を研究するもので、数字の計算なんかしない。たとえば、群論。数直線上の実数は無限に存在するが、それらでいくら加減乗除を繰り返しても、やっぱり実数。円周率やルート2のような無理数を除いた、整数の分数で表わされる有理数も、やはりいくら加減乗除を繰り返してもやはり答えは有理数で、無理数を作ることはできない。つまり、実数や有理数は、無限は無限だが、加減乗除に関して閉じている。こういうのを研究し、その絶対性を証明したりするのが、数学。

それがどうした、などと言うな。「数」の性質は、一般的で、現実的だ。たとえば、転職。中小企業に勤めていて、いくら自分で転職を重ねても、やはり中小企業。派遣社員で、いくら会社を変わっても、やはり派遣社員。たしかに無限に転職は可能なのだが、いくら転職しても、所属している「群」は変えられない。その無限性が閉じてしまっている。「群」を変え、新たな無限性を開くには、転職という「関数」ではなく、学歴向上や資格取得、ヘッドハンティングなどの別の「関数」が必要だ。

しかし、こんなことをやってみたところで、結局これまた、その新たな「群」で、無限性が閉じてしまっていたりする。外資系に入ってみたところで、またヘッドハンティングされて、あちこちの外資系をさまようだけ。それどころか、こんどは、国内雇用の「群」には無かった突然の大規模リストラによる解雇無職という可能性も加わって、ハイリターン/ハイリスクのゲームとなり、メンタルにはよりきつくなるだけ。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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