/楽して結果を得られることなど無い。たとえ得たとしても、守る力が無ければ、すぐに失われる。むしろ人知れず、小さな実績と自信を積み重ねていっていてこそ、いずれ大事に取り組む覚悟と実力も身につく。それが勉強だ。/
勉強は面倒だ。そもそも効率が悪い。数百人相手の一方的な講義や講演なんていうものもあるが、それはただの情報伝達で、小学校や学習塾のように教師が十数人の生徒と対話し、その反応を確認しながら話を進めていくのでないと、なかなかほんとうの意味では勉強にならない。だから、勉強は、時間も手間も、そしてカネもやたらかかる。
それで、とりあえず点が取れれば、単位が取れれば、卒業資格が取れればいい。ヤマをかけ、答えだけ覚えて、もっと効率良く「結果」を出そう。オレって頭がいい、なんでみんな、オレみたいにうまくやらないんだろう、などというバカが出てくる。
しかし、スポーツジムに毎月、法外な会費を払って、たまに行くだけ、それも行っても軽い負荷でカラカラ回しているだけ、などというのは、いったいなんの意味があるのだろう。それで、筋肉や体力がつくのか? 同様に、学校も、楽して取った点や単位、卒業資格が、勉強の「結果」なのか? バカのまんま、それどころか、バカを拗らせ、性格まで歪ませて、なにが勉強か?
スタディという言葉は、もともとラテン語で、推し進める、努力する、という意味。漢学の素養の上に洋学を学んだ西周(あまね、1829~97)は、日本でこれに「研究」や「学習」ではなく、あえて「勉強」という訳語を当てたが、この原義を正しく知っていたからだろう。(ドイツ学協会学校(現獨協大学)開校式演説(1883))
つまるところ、勉強というのは、科目は関係が無い。英語でも、数学でも、国語でも、理科でも、社会でも、部活でも、ボランディアでも、なんでもかまわない。とにかくあえて面倒に立ち向かうことで、精神的な「体力」(根性?)を身につける。なぜ有名大学受験組がバイトでも就職でも重宝がられるのか、なぜ推薦や世襲、ユトリが本音ではバカにされるのか、と言えば、この意味での「勉強」をしてきたかどうか、にある。ふだんには差は出ないかもしれないが、いざというとき、腹が据わっているかどうか、胆力があるかどうか、問題から逃げたり、問題を投げ出したり先送りにしたりせずに、正面から立ち向かって解決するかどうか、が問われる。
だれでも夢はある。思い立って何かを始めることもある。だが、残念ながら、ほとんどすべての人は、それだけで終わる。そのこころざしが三日と続かないのだ。というのも、それは、いきなり明日、フルマラソンに出場するようなものだから。日頃から体調を整え、筋力を付けていたって、40キロも全力で走るのは容易ではない。なのに、どうして仕事や人生なら、それができるなどと思うのか。
百日一考
2018.06.30
2021.12.30
2023.01.17
2023.04.29
2024.03.22
2024.04.07
2024.10.16
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。