/戦中世代がPTSDによって戦前戦後の恐怖に精神的に強迫され続けたのとは方向が逆ではあるが、いまの我々もまた、戦後コロナ前の繁栄の期待に心を支配され続けている。コロナさえ収束すれば、あの賑わいと活気に溢れた「現代」の大衆社会が復活する、とかってに信じている。しかし、それももまた、一種の強迫観念であり、同じ worrying だ。/
そして、そもそもストレスを溜めない、作らない予防方法をカーネギーは提案する。第一に、しなければならないことは、すぐやって、かたづけてしまう。第二に、重要なことから優先してやっつける。第三に、決断できることは、その場で決断する。第四に、人に任せることは任せる。ようするに、未決の物事を自分で抱え込まない、ということ。机の上をかたづけるように、できるだけ心の中をいつもさっぱりしておく。これらの方法は、後のコヴィの『七つの習慣』(1989)でも、さらにシステマティックに採り上げられている。
そして、情熱をもって仕事に取り組む。先にも論じられたように、目の前の今日すべき仕事で頭や体をフル回転させていることで、強迫観念が心に入り込むスキを与えない。さらに、カーネギーは、ぐっすり眠れない、などというのも、気にすることはない、むしろそんなときにこそ仕事、と言う。もっとも、これは文筆業など、夜中でも自分ひとりで仕事ができる人の話で、翌日、きめられた時刻に出勤して、万全の体調で仕事に臨まなければならないふつうの人々にとっては、ムリがあるだろう。
カーネギーをいま読む意味
『道は開ける』は、このように、戦後の冷戦構造や大衆社会に直面して当惑する戦中世代に向けて書かれた。彼らの心は、大恐慌から世界大戦、そして、冷戦の恐怖に捕われており、伝統的な秩序ある価値観が崩壊して、モラル無しに身勝手を謳歌する戦後世代の新しい社会に溶け込めず、自由とは名ばかりのその新時代の世論の同調圧力にもがき苦しんでいた。それに彼は癒しと平安を与えようとした。
よく読むとわかるように、邦題で『道は開ける』と言いながら、じつは、全体で worrying を止める方法に終始しており、living が何か、までは、書かれていない。しかし、living をスタートするためには、まず、その足に絡みついている worrying のカセを解く必要がある。
問題の構造としては、現代も似ている。戦中世代がPTSDによって戦前戦後の恐怖に精神的に強迫され続けたのとは方向が逆ではあるが、いまの我々もまた、戦後コロナ前の繁栄の期待に心を支配され続けている。コロナさえ収束すれば、あの賑わいと活気に溢れた「現代」の大衆社会が復活する、とかってに信じている。しかし、それももまた、一種の強迫観念であり、同じ worrying だ。
客観的に眺めれば明らかなとおり、日本だけでなく、かつての「先進国」はみな少子高齢化で衰退しつつあり、数が頼みの「現代」の大衆社会の根底が崩れてきている。かつての新聞やテレビのように数を力としてきた人気主義の文化は、多層的なネットの中で水のように薄まり、民主主義の政治も、安っぽい世論操作で、むしろ危うい対立構造を煽るだけのものとなってきてしまった。これとともに、いくら地球より重い人権を唱っても、経済的にも、政治的にも、文化的にも、個人は無力感に打ちひしがれ、社会に背を向けていく。
哲学
2020.12.08
2021.03.12
2021.04.05
2021.07.29
2021.10.20
2021.11.13
2022.02.16
2022.03.08
2022.04.03
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。