デール・カーネギー『道は開ける』をいま読む

2021.10.20

ライフ・ソーシャル

デール・カーネギー『道は開ける』をいま読む

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/戦中世代がPTSDによって戦前戦後の恐怖に精神的に強迫され続けたのとは方向が逆ではあるが、いまの我々もまた、戦後コロナ前の繁栄の期待に心を支配され続けている。コロナさえ収束すれば、あの賑わいと活気に溢れた「現代」の大衆社会が復活する、とかってに信じている。しかし、それももまた、一種の強迫観念であり、同じ worrying だ。/

 それで、富裕層は、個人的に弁護士と精神科医をメンター(助言者)として抱えるのが大流行。しかし、庶民は、本に頼るしかなかった。このニーズに応えたのが、カーネギーの二冊目のベストセラー『道は開ける』。著名人成功者のエピソードを中心とした一冊目の『人を動かす』と違って、この本では、庶民の悩みに哲学者や心理学者の理論を援用しつつ、真剣に答えようとしている。


worrying と living

 『道は開ける』(1948)の原題は、『How to Stop Worrying & Start Living』、つまり、悩むのを止めて生き始める方法。しかし、worrying を「悩み」と訳していいのだろうか。

 日本語で「悩み」というと、あれか、これか、迷いを意味する。もともと「悩」という字は、立心偏にひよめき、つまり、子供の頭蓋骨が固まる前の隙間に毛が生えた会意で、思いが固まっていないようすを表している。これに対し、英語の「worry」は、もともと、格闘する、喉元に噛みつく、という意味。そして、英語では「be worried about」と「be worring about」との両方が使われるが、ニュアンスが異なる。前者が受動態で、悩まされる、であるのに対し、後者は、自分が拘泥する、そのことが心配でしかたない、というような意味になる。

 だから、worrying は、今日の精神科診断(『DSM-5』(2013))で言えば、「強迫性障害(OCD、Obsessive-Compulsive Disorder)」のこと。この本の中で論じられている実例を読むと、そこには大恐慌から第二次世界大戦に至る間の生活の危機的体験が大きく影響していると思われる。つまり、この本で worrying と呼ばれているのは、潔癖症(不潔恐怖)のような過剰な強迫観念によるOCDではなく、むしろいわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)のフラッシュバックらしい。

 くわえて、大恐慌も戦争を知らないベビーブーマーによって開かれていく通俗的な大衆社会の出現。その一方で、明日にも核ミサイルが襲いかかるかもしれない新たな冷戦の恐怖感。こんな戦後に、時代に置き去りにされて孤立した戦前生まれの中高年が大量にいて、その多くが適応障害(AD、adjustment disorder)にも苦しんでいたことがわかる。

 そして、原題にもあるとおり、彼が懸念しているのは、worrying が、living を阻害しているのではないか、ということ。worrying (強迫観念に振り回されること)に終始して living を怠ると、心配事も現実化してしまう。だから、第一部第一章で、過去は過去、未来は未来、だから、今日、生きることに最善を尽くせ、という、この本の全体の主旨が提示される。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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