/「世界史」というと、山川の教科書ですらいまだに、それは近代になって成立した、などと言う。しかし、地域史をつぎはぎにしていても、世界史は見えてこない。東西交流史を理解するには、最初から全体像を概観的に掴む文明論的視点、地球儀的思考が求められる。仮説的ながら、あえてその概観を試みてみよう。/
しかし、その先は、テュルク語族。カザフステップのアルギッピア人は、禿頭とされるが、おそらくテュルク語族独特の弁髪で、当時、ソグディアナ(現サマルカンド市など)の交易にも係わるものの、大半は北の豊かな奥地(現ヌルスルタン市のあたりか)で半農外牧を営み、大麻(繊維型)やケシ(アヘン)も作っていた。
イッセドネス(烏孫(イゥッソン)、サカ、塞(さい))人は、中央アジアと中国とをつなぐ谷の要害、現キルギスのイッシク(温)湖付近。ここは、標高1600メートルもの寒冷な高地だが、温泉のおかげで、この谷筋は温暖。(しかし、その後、イッセドネス人はアリマスピア(月氏)に追われ、街も湖底に沈んでしまい、謎となる。)
アリマスピアは、シルクロードの玄関、敦煌市だろう。その名は単眼国という意味だが、強烈な日差と砂嵐に襲われる西域のタクラマカン砂漠を控え、ここの人々が目を守るために一本スリットのサンドゴーグルを使っていたことに由来するのではないか。
この先についてヘロドトスは、リーパイオス山の黄金を守る半鳥半獣のグリフォンのみの無人の地としている。じつは、アルタイ山脈は、黄金の山脈という意味。実際、ここにはボロー金山があり、また、このあたりには猛禽類のような頭を持った恐竜プロケラトプスが8000万年前に生息していて、砂中からその化石も多く出土していたので、これを怪物グリフォンの骨と見まがったのだろう。
そして、最後のヒュペルボレイオス人は、北風の向こう国という意味で、中央シベリア高原、ツングース語族のことだろう。ここは錫をはじめとする鉱山資源の宝庫で、青銅器時代になってから、テュルク語族とのユーラシアハイウェイでの交易が盛んになった。
(2)に続く
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。