いいのか。 悪いのか。 舐めているのか。 ただの雑考です。すいません。
世界は広い。自分のペニスを咥える芸を披露する曲芸師がいるのだそうだ。しかし、ヘソは絶対に無理なのだという。人間の身体構造から考えても、どうやっても「ヘソを噛む」ことはできないらしい。
そんな物理的状況から「臍(ホゾ)をかむ」という慣用句が生まれている。なんとかしたいが、絶対にどうにもできない状況を、昔の人は、こんな言葉に集約した。偉いっ。
これを、もう少し深く読み解きたい。「ヘソ」は、ほぼ身体の中心にある。胎児であったころの私達は、「ヘソ」を通じて母体とつながり、生命を維持していた。
考えてみれば、凄く本質的なところであるのに、生まれた後は、ほぼ何の役割もなく、身体の真ん中に居座る。今晩にでも、じっくりと自分の中心にある「ヘソ」を観察して欲しい。その頭を垂れた自分の姿と、「ヘソ」との間に生まれるメッセージに気づくはずだ。
人間は、自分の真ん中を、頭を垂れることでしか見ることができない。
また、そこは、どんな世界なのか、自分自身では、噛むことも、舐めることもできない。
永遠に届かないものを身体の真ん中に据えて、
人間は、営々と毎日を過ごしているのである。
人間の知性とは、知識の量で決まるのではない。ましてや、偏差値でもない。学歴や、年収が、知性を測る基準ではない。
「知性」とは、人間のことやら、自分のことやら、組織のことやら、世界のことやら・・・答えのでないことを考え続ける能力のことであり、考え続けられる性質のことである。
永遠に届くことのない「ヘソ」を、常に、頭を垂れて覗き見、舐めようとする行為こそ、知性そのものではないか・・・。
新語「ヘソを舐める」とは、答えの出ないものを追い続ける人間の営為である。
私の知る限り、素敵な経営者は、皆さん「ヘソを舐めている」。素晴らしい経営判断の裏には、いつも自問自答する姿がある。その英断の向こうに、また次の答えの出ない問いを設定されている。ご立派っ。
不動のステータスとは、ヘソを舐めるような、自問自答のプロセスを積み重ね、築かれるものである。合理的に、お金を右から左へ動かして獲得したステータスは、砂上の楼閣である。
金満家のヘソは、大概、その贅肉のために、舐めるどころか、見えなくなっている。
世の中の多くのコンサルタントの方々の、へそがキレイなことを切に願う。
信条とか・・・信念とか・・・。
2008.11.07
2008.07.30
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2020.01.24
2020.03.05
有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。