/ミステリは、もともと神話っぽい怪異譚。ところが、20世紀になるころ、スマートな「知恵落とし」の本格的な「デテクション(探偵小説)」が登場してきた。しかし、それは、ほんとうにきちんと解けるか、出版前にプロの同業者の査読を必要とし、そのために、著名な作家たちによって秘密結社が作られた。/
ノックス師もまた、このデテクション・クラブの会員であったために、しばしば「ノックス師の十戒」が「デテクション・クラブ誓約」と取り違えられがちだが、まったくの別物だ。まして、「ヴァン・ダインの二十則」は、デテクション・クラブでは認められていない。どのみち、これらは、おもしろいデテクションのための要諦であって、ルールではない。
さて、誓約を整理し直すと、じつは次の2点に要約される。
1 探偵が機知によって犯罪を解くこと
2 読者に手がかりを隠さないこと
これは、作者の代理である探偵と読者の知恵比べであり、ゲームとしてフェアでなければならない、ということを意味している。読者が探偵に勝れば、結末を待たずに、犯人を当てることができる。しかし、結末に至るまで、論拠立てて犯人を確定することができなければ、探偵、つまり作者の勝ちだ。デテクションは、内在的には、探偵と犯人の知恵比べの構造を取りながら、じつは、外在的には、作者と読者の知恵比べとなっている。そして、後者の外枠構造においては、作者は、むしろ犯人を代理人としている。
ここにおいて、うまく真に解くことが求められる。犯人が当てられればいい、というものではない。探偵も、したがって、読者も、以下のものを用いたのでは、機知によってうまく真に解いた、とは言われえない。
a) 天の啓示
b) 女の直感
c) マンボ・ジャンボ(迷信や妄信)
d) ジガリー・ポーカリー(はぐらかしやちょろまかし)
e) 偶然
f) 神の行い
この部分が、デテクションをミステリの中でも特異な周辺部へ押しやる原因となっている。ミステリのくせに、ミステリらしいオカルト的トリッキーなプロットが禁じられているのだ。
いまどき、こんなルールに外れているミステリなんか、いくらでもある。それを承知で逆に我々が勝手に思い込んでいるドグマも見直す必要がある。
たとえば、ミステリだから、殺人事件が必要だ、という「殺人ドグマ」。これは、デテクション・ルールではない。犯罪だったらなんでもかまわない。いや、さらに正確に訳せば、犯罪として提起されたもの(実際は犯罪ではなかったことが後にわかる)、であれば充分だ。これが、ヴァン・ダインの二十則(第七則)が本格的なデテクション・ルールとは関係がない決定的な要因でもある。ノックスの十戒も、殺人ドグマは、取り込んでいない。実際、彼らに先行するドイルの『赤毛連盟』は銀行強盗だし、チェスタートンの『グラス氏の失踪』は殺人事件のようでそうではない。
哲学
2017.08.30
2017.09.09
2017.10.18
2017.11.19
2017.11.22
2017.12.31
2018.06.03
2018.09.18
2018.09.25
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。