ナイチンゲールの誕生日を記念したナイチンゲールデイ、国際看護師の日は、広く家庭や社会、職域での看護の心を大切にする「看護の日」でもあります。
今日、5月12日は「看護の日」です。近代看護の創始者ナイチンゲールの誕生日にちなみ、世界的にはナイチンゲールデイ、国際看護師の日でもあります。
「看護の日」は看護師のための日ではありません。職業としての看護ではなく、家庭や地域社会における老若男女すべてに分かち合うべき、看護の心、ケアの心を大切にし、その心を育むことを目的としています。1990年に要望書として厚労省に提出された日本看護協会の「看護の日の制定を願う会」の趣意には、家庭でのケア、地域社会での助け合い、健康な人が病気の人を守ることが当たり前の世であってほしいという強い願いがこめられています。
この趣意書の根底には、プライマリ・ヘルス・ケアという考え方があります。「すべての人にとって健康を基本的な人権として認め、その達成の過程において、住民の主体的な参加や自己決定権を保障する理念であり、方法・アプローチでもある」プライマリ・ヘルス・ケア。健康とは、単に「病気ではない」ということではありません。ちょっと周りを見回してみればよくわかります。具体的な病名のつかない心身の不調を抱える“半健康人”が、おどろくほどたくさんいませんか。
“半健康人”を病気にならないよう予防し、軽いうちに治癒させることが医療費の増加を防ぐということで、予防医療は発達してきました。それでも残念なことに、健康をないがしろにして生活習慣病に陥ってしまう人というのは後を絶ちません。体重90キロを超え、糖尿病に苦しむ知人は、好きなものを食べて早く死にたいと医師の指導も家人の訴えも聞かず、食事療法や治療にきちんと取り組みません。内科病棟では、より重症な患者の方がなぜか“偉い”というおかしな風潮が蔓延しています。看護の心は、まず自分自身の健康を大切にする心から始める必要があるのかもしれません。
一方で、看護師や介護士、保育士など広く人の看護をする職種の労働環境の悪さ、賃金の安さが社会問題化しています。なぜ、そんなことになってしまったのでしょうか。どんな人にとっても、病気を予防し、軽いうちに治癒させ、それでも病気に倒れたときは適切な医療とあたたかな看護が受けられる社会が望ましいはずです。看護とはどういうことなのか。あらためて考えたい「看護の日」です。
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