ふとしたときに考える、タイトルのようなこと。 万人に通用する正解なんてありません。しかし、僕の中での、限りなく正解に近いと思っている解はあります。 まとめてみました。 夏休み、子どもたちに態を伝えていく、参考になるところがありましたら嬉しいです。
そしてもちろん、「情」も必要です。アタリマエですが、自分に情がないと、他者からの情を引き出せませんから。
そして公教育は、学校でしか身につかない「人格形成」を副の目的としてあるもの。
一方で、副の目的に過ぎず、人格形成は、家庭教育、そして地域教育、三位一体が必要条件であり、現代ではそれに加え、「地域」という場の存在が、地域を飛び出した「場」や、インターネットでつながることまで含めた、広義の「場」の中での教育が、人格形成において大切だと思っています。
一番の教育問題を語るとしたならば、家庭教育と地域教育が機能していない現象が増え、結果として学校教育に必要以上の人格教育を求める現象を誘発し、結果として三位一体で形成される人格よりも低レベルの人格しか形成されない上に、学力形成(not 「受験に合格するための」学力形成)が御座なりになっている点です。
蛇足ですが、Z会で働く僕の顔は、上記のとおり、公教育ではどうしてもできない学力形成に寄与することに邁進する顔であり、これはこれで社会の一部分を創っている行為と思っています。
一方で、教育人としての僕の顔は、家庭教育と地域教育が機能していない現象を直視し、「ぼくとぼくの好きな人のために」機能不全の解消に邁進するという時間の使い方をしています。
妻の協力もあり、今のところ「ぼくとぼくの好きな人」に大きな教育問題は発生していませんが、今後、PTAなどを初めとした「公教育と家庭教育の接続点」がおかしなことになりそうだったら、間違いなく割って入ります。
個人的な活動として、自治体を通じて行う教育の芽も出てきました。
こうして24時間、「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる 」ことを単純にやっているだけなのです。
“「幸せ」のため。ただし、社会の存在という制約条件下において。”
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