ワーキングマザーで3人の子持ちといえば思い浮かぶのは勝間和代さんだろう。公認会計士、トレーダーに経営コンサルタントを経て評論家という華々しい経歴を持つ勝間さんは、「わがままじゃありません!子供も仕事も手に入れるのは夢じゃない」、と言い放つ(ワーキングマザーバイブルより)。
プライベートでは子供が5歳。小島は社内の基幹システムの開発チームに異動になり、その後、2人目を妊娠して、2度目の産休に入った。
「産休に入る前に事業部が虎ノ門へ移転することになって、その時点で人事総務部へ異動希望をだしました。対人的な仕事への指向と、転勤で被るであろう長女へ影響の配慮からでした。自分は技術の仕事が好きでやっていたんだろうかとか、自分の仕事のやり方に課題がたくさんあるのでは、といろいろ考えた結果です」
技術に携わっているうちに、学生時代から人と接する仕事が好きだったことを思い出しての異動願いだった。こうして事務職となり、先輩から一から教えを請いながら、総務部で社員のサポートに奔走するうち、2005年、3回目の産休/育休を取得し、再び2006年から復職した。
「一人目の産休中は時間だけがあって、両親も遠方で近所に知り合いもなく、 助けのないまま孤立した子育てをしていました。そのなかで学生時代の友達や、会社の同期の仲間はどんどん成長していってい るのを見て、まだ何も会社で結果を出せていない状況にも、あせりました。でも当時は子供が出来れば辞めることのほうが多かった時代ですので、それも仕方ないかなとも思いました」
小島が仕事を辞めなかった理由は、まだ若い身で家族が増え、将来の家計も考えてだったという。
「このままではお金が足りない!」という脅迫観念がありました。それで仕事か家庭かを選択するなど心の余裕がなく、働かざるを得ないと思いました。だから、胸を張って、仕事が好きで続けましたなんて実は言えません(笑)。 でも最初は子供のせいで休んだりすることを批判的にみる人もいる中で、仕事を続けていくと、言葉は悪いかもしれませんが周りの人も慣れるというか、あきらめてくれるんですね」
それだけではない。コンピュータの世界は、この頃からそれまでのスタンドアロンのパソコン環境から、ネットワークが普及して、WWWの世界も一般人が参加できる時代になり、新しい技術やビジネスモデルが続々と出てきて、非常に面白い時代になってきた。
「そういう環境で新しいことを覚えるのはとてもエキサイティングなことでした。ですからもとの一人ぼっちの育児ライフに戻るなんて考えられませんでした。 2人目、3人目は、限られた育休期間を満喫しつくしてやろう、とあれこれ手を伸ばしたおかげで、非常に主婦生活が充実し、楽しかったです」と小島。
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
株式会社アシスト
2012.08.21
2012.08.07
2012.07.17
2015.07.31
2015.07.17
2012.06.21
2012.06.01
2012.05.14
2012.04.27