自由報道協会の上杉隆氏が代表を辞任することが取りざたされています。 同業者とも言える読売新聞の記者に対して「なめてんのか、この野郎」という暴言を投げかけたことに対し、上杉氏自らが辞任届を提出したのです (※)。 上杉氏は、いわば自由報道協会の生みの親という存在であり、単なる個人の問題を超えて、組織としてのスタンスを問われるような事件ですが、そこから見えてきた、自由報道協会の意外な「弱点」とは…
上杉氏が辞任届を提出するまでの経緯は本稿の末尾にまとめるとして、改めて感じたのは、「自由報道協会」は何のためにあるの?と言う疑問。
上杉氏の行為がその目的に合致しなければアウト。暫定代表辞任は当然だし逆に組織としての目的を阻害するのでなければ、前後の事情からもおとがめなしが妥当ではないか、と思うのです。
ということで、自由報道協会の設立趣意書をチェック。
が、すいません、私はこれを読んでも何を目的とした団体なのか分かりませんでした。
●「反体制」で集まった同志の末路は?
設立趣意書や設立趣旨を読むと、既存のマスメディアのあり方とか、「記者クラブ制度」を否定しているのは分かります。
でも、それに変わる「新たな報道のあり方」とか、結局この人立ちは何を実現したいのか、が残念ながら見えてきませんでした。
となると、この自由報道協会という活動は、メディアのしくみに詳しくて不満を持っている人からは、賛同を得ることができますが、普通の国民には、私も含めて共感を持たれにくいというのが現状の姿ではないでしょうか。
普通の人は、マスコミ不信に陥っているわけでないし、ましてや報道が偏っていると気付かないのが大多数ですからね。
と言う点を考えると、まさに似たような状況を思い出したのが、司馬遼太郎先生描くところの明治維新です。
薩長土肥を盟主とする当時の革命勢力は、徳川幕府を否定するという点では一致していたものの、倒幕後の「新たな国のあり方」が見えていなかったがために新政権は求心力を失い、やがては西南戦争で崩壊の危機を迎えます。
奇しくも自由報道協会は設立趣意書の中で明治維新に触れており、これにならうならば、今回の辞任届の理非を判断するためにも、そして、これからも組織として求心力を持って活動するためにも、一般の国民にも分かりやすく共感できるようなビジョンの確立をぜひお願いしたいものです。
●倒幕後のビジョンを描いた坂本龍馬
そして、再び明治維新に範を求めるならば、ここで登場するのが坂本龍馬。
司馬先生いわく、幕末の党利を求める諸勢力の中で、独り坂本龍馬のみは倒幕後のビジョンを描いていた、と。
具体的には、龍馬によって「船中八策」として起草された「新たな国のあり方」が明治政府のビジョンともいうべき「五ヶ条のご誓文」の下敷きになったと示唆されています。
現実の歴史においては、五ヶ条のご誓文は一時期は誰からも忘れられてしまう事態になってしまいましたが、その成立の経緯を考えると、もし龍馬が非業に倒れなければ明治政府もおよそ違う姿になったであろうと言う司馬先生の想像にも説得力があるというものです。
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