震災の復興に多くの人が挑む中、感動を覚え、賞賛すべき方々は、とてつもなく大きな被害を受けながら、なおも支援しようとする人たちだ。私たちはそうした人を忘れてはならないし、応援しなければならない。
震災の復興に多くの人が挑む中、感動を覚え、賞賛すべき方々は、とてつもなく大きな被害を受けながら、なおも支援しようとする人たちだ。私たちはそうした人を忘れてはならないし、応援しなければならない。
4月20日にSankeiBizが報じた、釜石市のJPの業務復興のニュースに感動を覚えた人は多いだろう。SankeiBizによると、釜石市のJPは大変な被害を受けながら、震災後いち早く業務を再開した。郵政は地方都市にとって、情報伝達の柱であり、市民の多くにとって必要不可欠な公共サービスだ。
地震と津波双方の被害を受けた釜石市の郵政サービスがすぐに復興したとは信じがたいが、そこには不屈の「地域に対する貢献心」があった。
業務再開は困難を極めた。周辺地域が壊滅的な被害を受けただけではなく、JPの事務所、社員自身の多くが被災し、支援が必要な被災者であったからだ。
地震の2日後に、斉藤重信支店長は、津波被害を受けなかった職員の宿舎に職員を集めてミーティングを行った。家族を亡くした職員もいた。
そこで支店長は「われわれは被災した。だが、われわれは復興の支援者でもある」と語ったという。
「被災者だが支援者たれ」と鼓舞し、住民のために命がけで支援するこの姿には心からの感動を覚える。簡単に言える言葉ではない。人は普段から口では協力や助け合いなど言いながらも、実際少しでも被害や自分への影響があるかもしれないと感じると、口とは全く違う行動に出る人は多い。あれだけの被害にあいながらも、支援者として地域に貢献する精神には本当に頭が下がる。
津波の被害こそ受けていないが、栃木県の益子町も同様だ。益子は陶器で有名な町だが、この震災で大半の陶器が割れ、窯までもが地震によって倒壊してしまった。益子町に保管されていた人間国宝濱田庄司氏の作品までもが以前の姿を保っていない。
益子町では、毎年ゴールデンウィークの期間、「春の陶器市」として、大きなイベントを開催していた。さすがに今年は開催が危ぶまれたが、「おもてなしの心でお客様を迎える」をスローガンに、期間を短縮しながらも開催する。今回は、「ビールを飲む器」をテーマとして開催される。
益子町の益子焼は、ルーツに「大堀相馬焼」を持つ。「大堀相馬焼」は、福島県浪江町で江戸時代から作られている。お湯を入れても冷めにくい二重焼構造や、青ひびと呼ばれる表面の独特な形状が有名だ。その相馬市は、ご存じのように地震、津波、原発と筆舌にしがたいほどの被害を受けた。現在は、生産地が福島第一原発から30km地点であることもあり、22軒ある窯元はいずれも現在休止状態となってしまっているという。
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