社会に育んで生きたい、本当の意味での優しさを。
先日、こんなニュースがありました。
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自分の通う中学校に火を付け、火事にしようとしたとして、栃木県警栃木署は17日、非現住建造物等放火未遂などの疑いで、栃木市立中学2年の男子生徒(14)を逮捕した。「火災になれば、夏休みが長引くと思った」と容疑を認めている。(時事通信社のニュースより引用)
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この記事を見て、Mixiの自分の日記にて、こんなことを書きました。
本記事の口調とは違いますけど、あえてそのまま掲載致します。
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余り言っちゃいけない言葉だけど、
「このガキンチョが!」
といいたくなるね。
子どものときの悪ふざけやいたずらを、大人と同程度の「犯罪扱い」をすることで、その子どもの将来を失わせちゃいけないとは思うよ。
でもね、「この子にもまだ将来があるから、そんなに厳しいことを言わないで!」みたいに周りがかばいすぎるのは、絶対に間違っている(この事件を起こした人の周りはどうかしらないけど)。
将来があるからこそ、駄目なことをやったらダメと、厳しく叱責するのが道理。
甘やかしは一番、将来のためにならない。
誤解を恐れずに言うけれど、「心に傷がつくかもしれない」なんか考えすぎちゃいけない。
傷がついても仕方のないことをやらかしたときには。
忘れもしない、生まれて1度だけあった、父親のビンタ。
それは、大事にしていたビーチボールを一緒に遊んでいた友人が針に引っ掛けて割ったとき、僕が「弁償しろ!」と何度も叫んだとき(確か小学校低学年のとき)。
駆けつけるなりいきなり「パシーン!」。
そんな父親に育てられて、僕は幸せだったと思うもん。
「夏休みが長引くと思った」
このコメントが本当で、その上での放火も本当ならば、 明らかに甘やかされて育っている。
とても中学生になって行き着く発想じゃないから。
高校生になってもそういうやついるよ、というのもわかる。
けれども「そんなやついる」からといって、ダメと判断できなくなるのは、違う。
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この日記を見た知人がこんなコメントを寄せてくれました。
厳しいことは言っているけど、根底に優しさがあるよね。
コメントはありがたく受け取った上で…
僕自身は、このように考えることを「優しさ」だとは思っていません。
このように考え、このように態度で考え方が未成熟な人間に接することは、社会が機能するために大人がとらなければならない「当然」の考え方で、「当然」の態度です。
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