四半世紀にわたって、ラーメン界をリードしてきた「博多 一風堂」。その経営者・河原成美氏はどのような思いを込め、ラーメンを作り続けてきたのだろうか? 彼の人生を振り返りながら、ラーメンに対する熱い思いを紹介する。 [嶋田淑之,Business Media 誠]
しかし長い年月をかけて河原さんの心の中に澱(おり)のように溜まっていった負のエネルギーは遂に爆発する。悪友と窃盗にのめりこみ、逮捕。数カ月にわたって拘置所に収監されてしまう。
「警察署で僕の調書を見た父は涙をポロポロ流して、『何百人も教えてきたけどたった1人、自分の子どもを教育しきれんかった』と言って、僕の身柄を警察に託したそうです。そして裁判に証人として出廷したんですが、教師としてのプライドを捨て『すべて私のせいです』と涙ながらに謝っていました。その姿を見て、何とも言いようのない感情がこみあげてきました」
結果は、執行猶予3年が付いた有罪判決。
「でも正直言えば、自分の陰の部分がすべて白日のもとに晒(さら)されたことで『これでようやく自分は本来の自分でいられる』という、肩の荷が降りたような、ホッとした気分になったんです」
社会的な地位・名誉・お金を目的とし、それに執着するような古い世間的尺度から解放され、自分本来のあるべき生き方を追求していく人生へのシフト。もちろん社会的には大きなマイナスを抱えての再出発であったが、河原さんの「原点」はまさにここにあったと言えるだろう。
ラーメン界に一陣の風を吹かせたい
学生時代から好きだった俳優の世界で地道にやっていこうと決意した河原さんだったが、「レストランバーをやってみないか」という思いもかけない誘いを受ける。子どものころから料理を作り、家族が喜んでくれる顔を見るのが何よりも好きだった河原さん。とはいえ芝居の世界で生きていくと決意した直後だっただけに、ずいぶん悩んだが、最終的にこの話を受諾する。
「この店で自分の役を演じようと思ったんですよ。飲食業は演劇だと」
こうして1979年秋、博多駅近くに河原さんにとって最初のお店となるレストランバー「AFTER THE RAIN」がオープンした。そして、このお店は空前の成功を収めた。
「『今いるところが最後の砦』と覚悟し、芝居の経験を生かして全力投球のパフォーマンスをしました。例えばウォッカを1本空けて、ヘベレケになって裸で走り回ったり、床で水泳の真似事をしたり……。これらが受け、連日、若者が詰め掛けたんですよ(笑)」
オープン時の目標は順調にクリアし、若いながら年収1000万円にも達したという。
「でもね、いつまでもこんな酔いどれの生活を続けていていいんだろうか、という疑念や焦りが頭をよぎるようになったんです」
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