もしも総理大臣が、いかりや長介さんだったら・・・。

2009.03.12

組織・人材

もしも総理大臣が、いかりや長介さんだったら・・・。

中村 修治
有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役

『8時だョ!全員集合』で一世を風靡。ドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系)のベテラン刑事・和久平八郎の渋い演技には、痺れたなぁ・・・。いま生きておられたら、この日本を見て何て言うのかなぁ・・・。

若い人達にとってのいかりや長介さんは、1997年に放映されたドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系)のベテラン刑事・和久平八郎役だろう。しかし、昭和30年代生まれの我々にとってのいかりや長介さんは、『8時だョ!全員集合』の、下唇べろんちょであり、ダミ声のリーダーであるのだ。

そのドリフターズのリーダーであったことの苦悩について、自著「だめだこりゃ」(新潮文庫)で、こんな風に語っておられる。その内容が、ベテラン刑事・和久平八郎のセリフのように、なかなか味わい深い。いまの日本のリーダー達は、心して聞くべきだ。

『ドリフを始めたときは、誰一人として、まさかドリフの名前を墓場にまで持っていくことになるとはおもわなかったはずだ。
すべては成り行きだった。偶然だった。誰一人、ずば抜けた才能を持つメンバーはいなかった。他人を蹴落としてまで芸能界で生き抜いていこう、という根性の持ち主もいなかった。テレビに出始めた頃に「クレイジーキャッツみたいになろう」とおもったくらいで、確固たる目標すらなかった。
ドリフターという言葉を英語の辞書でひけば、流れ者とか漂流物と書いてある。私たちは名前通り、漂流物のように潮の流れるままに流されてきたのだとおもう』

『私は長男で、上に相談に乗ってくれる兄弟はいなかった。なぜかわからないけれど、いつも私が何かを決定しなければならない立場に立たされてきた。静岡でのバンドのときもそうだった。ジミー時田のところにいたときも、リーダーではなかったのに、そういう立場になってしまった。外部との交渉係・渉外担当。何かの決定役はいつも私だった』

1969年に始まった「8時だョ!全員集合」。その番組の中で、いかりや長介さんは、他の4人とは、いつも異質だった。いかりや長介さんが、先生なら、他の4人は、生徒。隊長なら、他の4人は、兵士。社長なら、他の4人は、社員・・・。そして、いつもガミガミと、ダミ声で怒っている。見方を変えると、他の4人に、いじめられている。「権力」に対して、弱い方の4人が、逆転して攻めていくところに、子供ながらにカタルシスがあった。

ドリフターズ=漂流する者達の、行き着いた先は、いかりや長介さんの捨て身の構造だったのだ。リーダーと他の4人という構造を、覚悟を持って引き受ける・・・その構造のままを、笑いと昇華させていく。それも、「8時だョ!全員集合」は、ナマ番組である。撮り直しが利かない。

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中村 修治

有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役

昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。 その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。

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