/世界を大きさで計るデカルトは、幾何学を代数で解く解析幾何学を独力で拓いたが、ニュートンやライプニッツは、それによって微積分を確立したものの、中世的なエーテルと無限分割を引きずるデカルトを超え、力を実体単位とする万有引力とモナド、光粒子の近代の科学的世界観の扉を開けた。/
光とモナド
光はかつては神の属性でした。しかし、ケプラーは光が距離の二乗に反比例して減衰することを発見しました。それで、デカルトは光を、音と同じ一種の波とみなしましたが、光は音と違って真空でも通ります。
「もし光が神から出たんだったら、減衰なんかしなかったでしょう。星と同様に、光ももう科学の対象にすぎなかった」
ニュートンは、望遠鏡のぼやけにヒントを得て、プリズムを通して光を色のスペクトルに分離することに成功しました。それは光がなんらかの化合物であることを意味しました。そこで、彼は1704年に光の粒子理論を提案しました。それゆえ、宇宙はもはや光を伝達するためのエーテルの充満を必要としません。ニュートンにとって、宇宙はデカルトの幾何座標のような距離だけの純粋絶対時空になりました。
「でも、宇宙が真空であるとは、まだ証明されていませんよ」
一方、ライプニッツはハノーファーの外交官として、フランス王ルイ14世に対抗すべく、ドイツの新旧教会の統一に尽力しました。彼はドイツの宗教統一に失敗し、ニュートンを支持する英国人との微積分論争にも巻き込まれましたが、1714年にはハノーファー選帝侯に英国王位を継承させることで、英国との統合を達成しました。
「ニュートンとの先駆者争いには、政治的背景もあったのですね」
ライプニッツにとって、外交とは力の駆け引きでした。すでに1686年の『形而上学叙説』で、彼は、世界の実体は大きさのある物体ではなく、力を持った点である、と考えていました。したがって、彼はもはやデカルトのように精神と肉体を区別する必要はなく、神さえ、力を持ったただの点にすぎません。彼はそのような力を持つ存在を一般に「モナド」と呼びました。
「それは、ゲーリンクス、マールブランシュ、スピノザの神の視座のような形而上学的な世界かも」
1714年の彼のモナドロジーによれば、モナドは離散的です。たしかに、それらは化学粒子に似ていますが、体積がありません。つまり、それらは独立した力を持つ、ただの点です。それらは神がイメージした同じ世界を記憶し、それをそれぞれ反映させて表現するので、相互に関連性はないにもかかわらず、あたかも協力し、遠隔力があるかのように見えます。彼はこの現象を「予定調和」と呼びました。
「みんなそれぞれに同じ人気曲を歌っているカラオケルームのようです。こうして彼は重力のような遠隔作用を解決したと考えたのでしょうが、彼の形而上学的世界は、むしろ遠隔の「重力点」だけで構成されていました。逆に、連続流体のようなものはどう扱うつもりだったのでしょう?」
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。