ニュートン対ライプニッツ:デカルトの克服

2024.09.22

ライフ・ソーシャル

ニュートン対ライプニッツ:デカルトの克服

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/世界を大きさで計るデカルトは、幾何学を代数で解く解析幾何学を独力で拓いたが、ニュートンやライプニッツは、それによって微積分を確立したものの、中世的なエーテルと無限分割を引きずるデカルトを超え、力を実体単位とする万有引力とモナド、光粒子の近代の科学的世界観の扉を開けた。/

「エーテルだって、アリストテレスが言った第五元素ですよね?」

デンマーク貴族ティコブラーエ(1546-1601)は、自分正確な天体観測のデータに困惑していました。それは、火星が太陽を巡る正確な軌道上にないことを示していたからです。1601年の死に際して、彼はデータの整理を助手のケプラー(1571-1630)に託しました。ケプラーは1609年に、太陽が1つの焦点にある楕円軌道であり、角面積が一定であることを発見しました。そこで、デカルトは宇宙におけるエーテル風のより複雑な渦について考える必要があり、それはデカルトの死後1656年に出版されました。

「デカルトは火星を海峡の渦に漂う樽のようなものだと考えたのだろう」

若き英国人ニュートン(1642-1727)はケンブリッジ大学の教授に抜擢され、流体法を発明し、1671年に発表しました。それは液体の総量への流入または流出の増減を計算する方法です。一般的な変数の公式を使用し、瞬間の二乗をゼロとして無視することで、彼は微分方程式を導き出しました。同じころ、若いドイツの好事家外交官ライプニッツ(1646-1716)も、パリ滞在中に、デカルトの解析幾何学により、単純にグラフの傾きを点の接線として計算することで、同じ微分方程式を発見しました。

「流体の研究で、ニュートンはエーテル風を説明しようとしたのかな?」

ところで、ガリレオは、振子実験から、高さと速度が互換であることを発見しました。そこで、デカルトは Vis Vita、生命力を質量と速度の積として想定しました。しかし、四倍の高さから落としたものが二倍の速度になることとを示したガリレオの落下実験から、ライプニッツは、フォースと Vis Vita、すなわち力と運動量を区別し、大きさのある物体ではなく、力が真の存在であると1686年の『形而上学叙説』で主張しました。

「ああ、ライプニッツはデカルトのまちがいを見つけた?」

ニュートンは、ライプニッツが Vis Vita から区別した力が、質量と加速度の積だ、と気づきました。さらに、この運動方程式を惑星の軌道に適用して、重力が離れた太陽と惑星に作用していることを発見しました。彼はこれを1687年の『プリンキピア』で万有引力理論に発展させましたが、力どのように伝わるのかは謎であり、ニュートンは「我は仮説を立ず」と言って、答えませんでした。

「ニュートンとライプニッツはライバルだったのに、意外にいっしょに科学を発展させたんですね」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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