老害という言葉が私には責任転嫁に思える時がある。 社会には様々な人たちがいるが、それを年齢という軸で区分けすることに意味を感じない。 メンタル老人とは年齢を軸とせず、人としての成長と成長を通じて社会へ貢献ができる姿勢を軸としている。 とは言え、細かいことはともかく、死ぬまでメンタル老人にはなりたくない、とつくづく考えている。
有名な話があります。
蚤は20センチの跳躍力がある。しかし、10センチの瓶に蚤を入れ蓋をしておきます。
はじめは蓋にぶつかっていた蚤がぶつからなくなり、その状態で蓋を開けとも蚤は瓶の外に出ない。
つまり自分は10センチしか飛べないと学習したのです。本当は倍の跳躍ができることを忘れて。
元に戻すのは簡単です。両手を叩いて大きな音を立てる。すると、蚤は驚いで我に返り20センチの跳躍力を取り戻し、瓶の外に出る。
私にはどうしても、メンタル老人化した人たちが、この蚤の比喩のように瓶から出られないでいるように見えしまう。
さて、自分の真の可能性を開花させるために、手を叩いて目覚めさせてくれる人や機会に出会うための小さな一歩を、あなたいつ踏み出しますか?
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2009.02.10
2015.01.26
株式会社アクションラーニングソリューションズ 代表取締役 一般社団法人日本チームビルディング協会 代表理事
富士通、SIベンダー等において人事・人材開発部門の担当および人材開発部門責任者、事業会社の経営企画部門、KPMGコンサルティングの人事コンサルタントを経て、人材/組織開発コンサルタント。