老害という言葉が私には責任転嫁に思える時がある。 社会には様々な人たちがいるが、それを年齢という軸で区分けすることに意味を感じない。 メンタル老人とは年齢を軸とせず、人としての成長と成長を通じて社会へ貢献ができる姿勢を軸としている。 とは言え、細かいことはともかく、死ぬまでメンタル老人にはなりたくない、とつくづく考えている。
最近、メンタル老人という言葉を口にすることが多くなった。
老人とは一般に高齢者を指す言葉ですが、
メンタル老人とは、
自己成長のための投資をせず、新たな変化へのチャレンジを遠ざけるあるいは興味がない人達のことを指しています。
メンタル老人を見分けるのは、すごく簡単です。
まず、主語が曖昧。自分が責任をもって何かに取り組むことが嫌いな彼らは、常に主語が曖昧です。
間違っても「私が○○します!」などとは言わない。まず、意見は極力言わない。どうしても言わなければならないときは「○○したら良いんじゃないですか~」とお茶を濁す。
結局、その意見とも言えない発言は、何事もなかったように消えていく。
だから20代、30代にもメンタル老人はたくさんいます。
こんな人たちでも日本はチャレンジして失敗した勇者よりも、空気を読み無難にやり過ごしてきた善良な傍観者を評価する。
なので、年相応に肩書が付いたりもする。
こうした肩書を持ったメンタル老人が増えていくと組織の衰退は一気に加速します。
理由は明快です。
手柄を欲しても失敗の責任を取りたくない彼らは、主語と具体論を持たない。言うことは常に不明瞭で責任の所在も曖昧。
結果、彼らの方針や支持は中身がなく、具体的に何をするのかも分からない。
「チーム一丸となって、これまで以上の成果を出し、自社のブランド価値と顧客満足度を最大化しよう。。。」
これを聞いた部下の頭の中には
「で、結局何がしたいの?」「何をしたらいいの?」
たくさんの疑問が並ぶ。でも、聞いたところで具体的な回答がされるとも期待していない。
結果、何となく、これまでやってきたことを、また繰り返していく。
こんな組織に「人の成長やイノベーション、モチベーション」は全く縁がない。
そして、そんな組織が増え続けています。
今、日本中の職場から「職場が楽しくない」「仕事が楽しくない」「悩み事を相談できる仲間がいない」「ロールモデルとなる上司がいない」と言った声が増え続けています。
それも至極当たり前なのかもしれません。それを言っている本人がメンタル老人かもしれない。
それはメンタル老人のもう一つの特徴
他力他責:自分がやらなくても誰かが何とかするだろ
を根底とした価値観から生まれています。
しかし、私達は分かっています。自分の見ている景色を変える唯一の方法は、自分が行動することだと。
何もしない傍観者が、静かに組織という船を沈めていく。
もちろん、その船に自分も乗っている。
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2009.02.10
2015.01.26
株式会社アクションラーニングソリューションズ 代表取締役 一般社団法人日本チームビルディング協会 代表理事
富士通、SIベンダー等において人事・人材開発部門の担当および人材開発部門責任者、事業会社の経営企画部門、KPMGコンサルティングの人事コンサルタントを経て、人材/組織開発コンサルタント。