2000年に、雪印が引き起こした食中毒事件。 しかし、これは雪印にとって初めての大規模食中毒事件ではありませんでした。 さかのぼること45年。 1955年に、雪印は大規模な食中毒事件を起こしたことがあったのです。 しかし、経営陣によって取られた対応は、まるで違ったものでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・
1955年、北海道の八雲工場で食中毒の原因菌が発生し、都内の9つの小学校で給食の脱脂粉乳を原因とする集団食中毒が発生しました。
被害者となった小学生は、実に1900人を超えました。
自社製品から原因菌が検出されたことを指摘されると、佐藤貢社長は即座に販売停止と全量回収を指示します。新聞各紙に謝罪広告を出し、社長自ら原因工場に駆けつけて原因調査にあたりました。
同時に、被害者や取引先、酪農家などへのおわび行脚を社をあげて実施。全工場で再点検を行い、衛生管理部門、検査部門を独立させ、検査網を二重、三重に強化する等の対策を矢継ぎ早に行っていきました。
当初批判的論調だったマスコミですが、雪印の迅速・真摯な対応を見て徐々に論調を変化させていきます。
やがて全国から激励の電話や手紙が雪印へ寄せられるようになりました。
佐藤社長は、その後の衛生管理に対しても一切の妥協を許さず、工場従業員は全員丸刈りとしました。
そして、酒やタバコも、味覚を麻痺させるとして禁止します。
佐藤貢社長自身、頭をつるつるに剃り上げていました。
この事件以前は業界中位のメーカーに過ぎなかった雪印は、この事件を契機に逆に大躍進し、一気に業界トップに躍り出たのです。
これが、「八雲事件」と呼ばれる食中毒事件のあらましです。
八雲事件の起きた1955年以降、佐藤貢社長の「全社員に告ぐ」は、毎年新入社員に入社式で配布されつづけてきました。
「信用を獲得するには長い年月を要し、これを失墜するのは一瞬である。そして信用は金銭で買うことはできない」という教訓は、毎年語られつづけてきたのです。
私がインタビューした方も、佐藤貢社長の「全社員に告ぐ」は、常に手帳の中に貼り付けていたといいます。
しかし、30年以上にわたって綿々とつづけられてきた「全社員に告ぐ」の配布は、1986年をもってなぜか中止となります。
それは、シェア競争、過度な鮮度競争が激化し、生産現場での品質管理が犠牲にされ始めた時期でもありました。
通常、牛乳が製造されてから品質検査を行い、その結果が出るまでには約16時間の時間がかかります。
つまり、午前8時開店のスーパーで、朝一番に消費者が牛乳を手にする前に食中毒菌に汚染された牛乳を撤去するためには、そこから16時間の検査時間を差し引いて、前日の午後4時までには製造が完了していなければならないことになります。
これがギリギリのラインであり、通称「D-1」と呼ばれる製造スケジュールでした。
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