/きみがきみを、きみが世界を、創る。きみがそれをすこしでも怠れば、きみも、世界も、すぐに消えてしまう。仕事でも、旅行でも、恋愛でも、家族でも、人生でも、自分でやらなければ、けっして自分のものにはならない。ほんとうに意味のある人生がほしいなら、自分が自分で自分の人生を生きよう。/
つまり、自分というものも、ほっといて、そこにそれがあるべくようにあるわけじゃない。サルトルの言葉を借りれば、人間は、自由であるべく呪われている。自分というものを自然的態度で妄信し、ほったらかしていたら、何者でもないもの、ニートや引きこもり、ただあるだけの実存という無、になってしまう。
とはいえ、この実存という無を自覚するなら、それは、逆に、なんにでもなれる、という可能性でもある。世間がどうあれ、キルケゴールやヤスパースのように、理解しえない神の前の挫折、もしくは、ハイデッガーの言うような絶対固有の自分の死からの逆算、さらには、サルトルが挙げた人々のまなざしへの見返しにおいて、本来あるべきいまの自分のありようを取り戻し、先駆的決意として自分、そして、自分の世界を投射していってこそ、そこに自分と世界ができる。
きみがあれこれ文句を言ったところで、だれもきみの話なんか聞く耳を持たない。なぜなら、きみは、世界にとって、相手にとって、無だからだ。きみが読まない本は、本ではない。きみが努力しない勉強や仕事は、勉強でも仕事でもない。きみが愛情を注がない相手は、恋人でも家族でもない。きみが信じ祭らない神仏は、神仏ではない。きみが楽しまない人生は、人生ではない。ものは買っただけ、持っているだけでは、自分の手には入らない。むしろなにもかもが、崩れて失われていくだけ。
きみがきみを、きみが世界を、創る。きみがそれをすこしでも怠れば、きみも、世界も、すぐに消えてしまう。カネや世間を妄信するな。小説や映画で錯覚するな。仕事でも、勉強でも、旅行でも、恋愛でも、家族でも、人生でも、自分でやらなければ、けっして自分のものにはならない。名義ばかりの虚妄では、まったく意味が無い。ほんとうに意味のある人生がほしいなら、自分が自分で自分の人生を生きよう。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学、『百朝一考:第一巻・第二巻』などがある。)
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。