静かな武士道:刀を抜いたら負け

画像: photo AC: acwork さん

2018.10.23

ライフ・ソーシャル

静かな武士道:刀を抜いたら負け

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/武士は、戦士というより経営者で、それも、朱子学的な建前をはみ出さぬよう、つねに慎重に物事を進める用心深さが求められた。揉めごとを力で解決するのではなく、揉めごとにならないよう、事前の準備を重ね、慎重に事を進めていく、それが今の日本人にも根強く残っている、静かな「武士道」。/

このため、第一には、所領の生産性を高めることが求められた。新田開発で面積を拡げるだけでなく、市場性のある四木三草のような商品作物で現金収入を増やし、50%もの高い租税を代官や名主を使って農民から確実に搾り取った。しかし、やりすぎると、手痛い自然災害を被り、また、他家と争いになったり、農民が反乱を起こしたりして、すべて没収された。

第二は、家中で地位を得ることだった。番方や役方として重用されれば、その役目に応じて、役目の間だけ、上の身分に相当する足高(たしだか)が与えられたからだ。だから、下級武士は熱心に武芸や学問に励んだが、中級以上は、上に媚びへつらって、派閥や閨閥、付け届けに奔走し、よけいに資金を必要とした。くわえて、この家中争いがあまり露骨になると、大名家でも、丸ごと潰された。

第三は、城下町にある広大な屋敷の中を畑にしたり、周辺を商店や長屋として又貸しする方法だ。一族郎党、一丸となって独自の手工業に取り組む者も少なくなかった。しかし、これらも、あまり派手にやると、武家らしからぬ、として、世間や殿様から目を付けられ、元も子も無くなった。

いずれにせよ、江戸時代の武士は、戦士というより経営者で、それも、朱子学的な建前をはみ出さぬよう、つねに慎重に物事を進める用心深さが求められた。これが実際の「武士道」だ。刀を抜くようなら、すでに武士として失格。揉めごとを力で解決するのではなく、揉めごとにならないよう、事前の準備を重ね、慎重に事を進めていく、それが今の日本人にも根強く残っている、静かな「武士道」。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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