魚津の漁家の主婦が発端だったと知っていましたか?約100年前の大正時代に起こった米騒動の顛末です。
米騒動の日というのは、学校の社会の教科書にも載っている有名な米騒動が始まったことで生まれた日です。
1918(大正7)年7月23日、富山県魚津の漁家の主婦たちが米の県外移出を阻止する集団行動を起こし、全国にまで広がった米騒動の始りとなりました。
「北海道への米の輸送船・伊吹丸が魚津町に寄港した時、おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が、米の積み出しを行っていた大町海岸の十二銀行の米倉庫前に集まり、「米の値段が高くなるのは、県外に米を持っていくから魚津に米が無くなるのだ!」と、米の積み出しを止めるように要求し、このため米の搬出は中止されました。」
(魚津市観光協会公式サイトより転載)
魚津のこの騒動をを皮切りに富山湾沿岸一帯で米価引き下げ・困窮者救済の要求運動が発生しました。これが新聞で報道されると、8月10日に名古屋と京都で大騒動が起こるなど全国に波及し、さらには米問屋から炭鉱にまで飛び火した騒動は9月17日まで続きました。警察だけでは鎮圧できずに軍隊まで投入され、30人の死者と多数の負傷者を出したそうです。
当時は米が主要な食料で、一般庶民にしてみれば値上げは大変な出来事でした。大正デモクラシーの反政府意識の高まりの中、魚津の主婦たちの井戸端会議からはじまった米騒動は、やがて寺内内閣の総辞職という事態にまで発展しました。
時代の風が大参事を招く大嵐となった出来事だったのです。
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