/アマテラスは、出雲神話にしても、山人(ヤマト)皇史にしても、崇拝の史実が無く、記紀の中で浮いている。これを持ち込んだのは、伊勢湾の海人(アマ)の影響を強く受け、壬申の乱で政権を執り、記紀を作らせた天武・持統。その背景には、前代未聞の白鳳地震の大津波災害があった。/
草薙剣盗難事件は、奇妙な話だが、壬申の乱の前から、大海人皇子が皇位継承の正統性を示すために熱田神宮から持ち出させて、手元に置いていた可能性もある。もしくは、熱田神宮も84年の津波の被害で壊滅してしまっており、新たに剣を仕立てて、再建を確約した、ということかも。
いずれにせよ、天武天皇は同86年9月に亡くなり、后のササラ皇女が第41代持統女天皇に。そして、伊勢内宮の第1回式年遷宮は、津波から6年目の690年。だが、これは遷宮ではなく、新規創設だったのだろう。もしくは、海人神話を持つ熱田神宮の方がもともとアマテラスを祭っていて、これを伊勢に勧請(かんじょう)したのかもしれない。
また、外宮は692年。こっちは、広瀬の大忌神(トヨウケビメ)を祭る。もともとイザナミの尿から生まれた女神で、キツネに守られ、稲荷に祭られている豊作の神でもあるが、かつて崇神天皇のときに広瀬に汚水ダマリ(水足池)ができて国民の過半が疫病で死ぬ、というような大災害をもたらしてもいる。津波洪水のアマテラスと汚水疫病のトヨウケビメとが内宮外宮で対になっているのは、こういうわけ。
壬申の乱のとき、天武側は赤色を味方の目印とした。世界でも太陽を赤で描くのは日本くらい。アマテラスも、黄金に輝く天上の太陽神ではなく、真っ赤な朝日を照らす大海原だったのではないか。そして、伊勢神宮は、津波でなにもかもなくなってしまった海辺の小高い丘に、その追悼と鎮魂のために建てられたのではないか。全国各地にアマテラスを祭る神明宮はあるが、東北に限らず、その多くは、実際、津波洪水などの災害や鎮魂と結びつくところにあるのかもしれない。
※ 作図に関しては、埼玉大学谷謙二准教授が開発した「Web等高線メーカー」を活用させていただいた。あらためてお礼申し上げたい。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『死体は血を流さない:聖堂騎士団 vs 救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)
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2017.02.25
2023.06.06
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。