/高度経済成長とともに、日本のサラリーマンの理想像として、「武士道」を語るビジネス書や自己啓発書が大量に粗製乱造されるところとなった。そのほとんどすべてが、自分の恣意的な思想を、時代劇の通俗イメージに仮託したものか、せいぜい新渡戸稲造『武士道』邦訳ないし極論の山本常朝『葉隠』を敷衍したものであって、史料的にも、文献学的にも、およそ学術考証に耐えるものではない。/
はじめに
本研究は、江戸時代の武士の生活に関する近年の実証的研究の発展を踏まえ、巷間に流布する通俗的な「武士道」とのズレを問うことに始まった。それはまた、実際の歴史上の武士とは無関係な「武士道」の神話の存立構造を問う研究でもある。つまり、これは、実在しない倫理学的理念の哲学的存在論、というイデオロギー問題である。
対外的には新渡戸稲造の英文著書『武士道』(1900)がよく知られているが、国内においては、井上哲次郎の『武士道』(陸軍中央幼年学校講話速記録、1901)、同編『武士道叢書』(上中下巻、1905)、『武士道全書』(全10巻+別巻、1942)が明治から昭和初期にかけて日本の「武士道」の倫理学的理念を形作ってきた。
しかるに、戦争直後こそ、GHQの占領文化政策によって、市井のチャンバラ演劇まで禁じられたものの、高度経済成長とともに、日本のサラリーマンの理想像として、「武士道」を語るビジネス書や自己啓発書が大量に粗製乱造されるところとなった。そのほとんどすべてが、自分の恣意的な思想を、時代劇の通俗イメージに仮託したものか、せいぜい新渡戸稲造『武士道』邦訳ないし極論の山本常朝『葉隠』を敷衍したものであって、史料的にも、文献学的にも、およそ学術考証に耐えるものではない。
本来であれば、「武士道」を語るには、「武士道」のカノン(正典集、聖書)である、戦前の定本『武士道叢書』『武士道全書』に基づくべきであろう。しかしながら、これらの全集に集められている文献は、古文ないし漢文で記されており、古典学を軽んじた教育しか受けていない戦後団塊世代には読むことすらできず、かえって英文の新渡戸の方が現代日本語訳で読みやすい、という奇妙な事態を生じた。
本論考では、武士道とは何か、を問う前に、我々が問うべき「武士道」とされているものが何であったのか、を問う。すなわち、戦前において何が「武士道」と考えられたのか、を明らかにする。そもそも「武士道」という術語が人口に膾炙するのは、20世紀になってからのことであり、井上哲次郎らがレトロスペクティヴ(回顧論的)に日本人の理想的な生き方を、江戸時代の武士の倫理に求めたことによる。
『武士道叢書』の背景
戦前の「武士道」の理念は、東京帝国大学学長、井上哲次郎(1856-1944)によって打ち立てられ、国家主義と相まって、広く日本人に知られるところとなった。だが、戦後の多種多様の独断独善的な武士道論と違って、井上は、恣意的な自説をもって、それを「武士道」と詐称するのではなく、まず文献学的な典拠を整えることから始めている。幸い、東京帝大学長という位にあって、彼は、同大学図書館はもちろん内閣や国会、文部省の図書館、友人知人のつてで、当時知られていた主だった文献を実際に入手閲覧できた。
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2015.07.17
2009.10.31
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。