意見を言うのは大事です。 私欲もあるのは、人間の性です。 しかし、だからといって、組織の機能を考えないレベルまで主張するのはどうかと思います。 そんな「なんちゃって民主主義者」の特徴とは。
今、Z会では、人事制度の改革をいろいろ行っています。
「今まである制度」を変えるわけですから、賛成・反対、いろいろ出ますよね。
僕自身も、1人の社員として、あるものには賛成、あるものには反対、という「意見」は当然ありますし、すべてがすべて「会社のため」を考えての意見ではなく、極めて個人的な利益を確保するための意見を述べるときもゼロではありません。
社員なので“会社のため”という自分と、“所詮は個人の幸せだよね”という「私欲」にあたる部分、誰しも持っているのが人間だと思うんですよね。
しかし、「私欲」が強くなりすぎて、「批判」になるのはカッコワルイと思っています。
他の会社よりもずーっと「私欲が強くなりすぎての批判」が少ない自社だとは感じていますが、それでもやはり「これって、ものすごく個人的な意見だよなあ…(今までが逆に、その人にとって既得権益がありすぎているんだよなあ…)」という意見を見ることもあります。
♯もっとも、そういう意見がゼロの会社は、理想郷か宗教がかっているか、どっちかでしょうね
同様に、社会の様々な「改革」におけるメディアの報道やパブリックコメントなどを見るときも、同じように感じることがあります。社内の「改革」よりずっと多く。
学生のときから様々なサークルや団体に属したこともありますけど、どんな組織でも見られますね、「改革」をやろうとするときに。
意見はどんどん言うべきです。
ただ、ある程度の「判断」や「決定」が下された後に、「私欲からくる批判」をする行為は、組織を」機能不全にします。
僕はこのような行為を頻発させる人を「なんちゃって民主主義者」~つまり、私欲を達成するがために、「民主主義」という言葉を悪用している人、そう捉えています。
そんな人たちの行動傾向には、以下のようなことが見られます。
・私欲を達成することで全体利益を押し下げる。
上にも述べましたが、誰だって私欲が強い人間なんです。私欲をゼロに、なんて、僕にも到底不可能です
しかし、「私欲」を守らんが為に全体利益を押し下げて、組織や社会の中で自分が得る「相対利益」を向上させても、全体利益が下がるために、実際得られる利益が下がる、なんてことはあっちゃいけない、と思っています。(私欲とモラルの境目なんかも、この辺が判断基準ですよね)
「なんちゃって民主主義者」は、私欲を強く唱えるが余り、全体利益を妨げることが多いです。
・「自分の意見はみんなの意見」
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