現在アシストは企業向けのビジネス用コンピュータ・ソフトウェアの販売/サポートに特化しているが、1980年代後半にはパソコンソフトも取り扱っていた。松尾浩がアシストに入社したのはちょうどその頃。9,700円のワープロソフトや表計算ソフトを販売する部署に配属された。
営業になって担当した20社ほどの顧客企業に、ある製薬会社があった。この会社の担当になったことが、現在の自分を作ったといっても過言ではない、と松尾はいう。
「当時、この会社では全社情報系基盤のシステム構築やグローバルID管理統合の企画など、様々なプロジェクトを抱えていました。積極的なIT活用で業界トップに躍り出ようというお客様の熱意をひしひしと感じました。特に、攻めのIT戦略として、約6,000名の部員全員にPCを利用させ、エンドユーザ・コンピューティングを実現しようとしていたのです。それをお手伝いすることで、お客様のビジネスも知ることができ、また多くの学びと経験をさせていただきました。お客様が情報システムを積極的に展開されることで会社に貢献するなら、自分はそれをお手伝いして、同じように会社に貢献できる。技術を担当していた頃とは違うチャレンジがとても新鮮でした」
お客様との距離が近づき、お客様からより多くのことを教えてもらううちに、松尾はようやく『木を見て森を見ず』の意味がわかってきたのだ。
「最初はただ製品を売ろう売ろうと思って仕事をしていたような気がします。アシストの営業として自分が担当していたのはパッケージ販売という小さな領域でしかなく、見えていたのは、その製品を通じた短期ビジネスだけだったのです。しかし、お客様の仕事がより見えてくると、自分はお客様や、お客様のお客様、そしてひいては社会にどのように貢献できるのだろうか、というところまで考えて行動するようになり、ようやく森が見えるようになりました」
その後の企業統合で、この製薬会社はいくつかの会社に分かれ、当時松尾がお世話になった方々も仕事が変わったり他社に移られたりした。しかしいまでも公私共にお付き合いは続いていると松尾は言う。
「アシストのビジネスの中心はパッケージソフトの販売ですから、お客様の全体像を見ているつもりでも、納める製品はどうしてもソリューションの一部になります。導入していただいた製品が日本語化されなかったことなどから、導入1年後に、解約をしたいとお客様からお申し出をいただいたこともありました。ソフトウェアをゼロから開発するソフトウェア・メーカーの役割とは異なるため、そんな時はパッケージソフト販売というビジネスの限界も感じました。それでも、その後わずか1週間の検討期間で、同じお客様に別のワークフローソフトをご導入いただき、これもお客様のニーズを把握していればこそお役に立てることができたのだ、という実感はありました」
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