現在アシストは企業向けのビジネス用コンピュータ・ソフトウェアの販売/サポートに特化しているが、1980年代後半にはパソコンソフトも取り扱っていた。松尾浩がアシストに入社したのはちょうどその頃。9,700円のワープロソフトや表計算ソフトを販売する部署に配属された。
入社研修を終えて配属された松尾の仕事は、9,700円のソフトウェアをPCショップに売るための販促活動として家電量販店でのビラくばりや店頭応援だった。
「入社前に想像していた業務とはあまりに違っていたのでびっくりしました。ところがもっと驚いたのは、4ヶ月でその部署が解散になったことです」
当時、パソコンソフトの価格は高額だったが、アシストはそれを廉価で、しかもサポート付きで市場に提供するという戦略を打ち出した。ところがしばらくして、最初はその10倍以上もしていたパソコンソフトの価格が次々と値下げされてきたため、当時の社長ビル・トッテンは、これでパソコンソフト分野におけるアシストの役目、すなわち1人1台PCを所有できる環境を作るためにソフトの値段を引き下げるということ、は終わったとしてパソコンソフト事業から撤退を決めたのだった。
部署の解散で大阪から東京へ異動となった松尾が配属されたのはフォーカス営業部という、メインフレーム用の簡易言語ソフト、FOCUSの製品技術サポート。そしてそれまでパソコンソフトを売っていたということからPC系製品の企画も担当した。そこでほとんど経験もないまま、担当したある銀行で松尾を待ち受けていたのは、その銀行のグローバル展開システムでの相次ぐトラブルだったという。
「お客様先で、15名のIT責任者の前でトラブル報告を行った時のことは今でも忘れられません。当時の情報システム本部長に、“お前、何言うてるかわからへん。帰れ”と。重要なシステムのトラブルに新人が来たので、お客様も呆れられたのだと思います」
入社以来予想外のことが次々と起きるので、もう何が起きても驚かないと決め、どんな経験も楽しもうと思った、と松尾は言う。
約5年の東京勤務の後、大阪へ異動となり担当したのはデスクトップ管理ソリューション製品の技術サポートだった。ここでもある資産管理製品の不具合というトラブル対応にあたる。しかしこの頃になるとトラブル対応にも慣れてくる。トラブルがお客様との接点でもあると認識し、様々な経験を1つずつ積んでいくことで自信にもつながっていった。
1999年、松尾は大阪支店の営業部に配属となり、営業職に転向する。
「営業になった時に、IT業界で超有名なある営業の方からアドバイスをいただきました。その言葉はただ一言、『木を見て森を見ず』というもの。その時はよくわからず、その意味がわかったのはあとになってからでした」
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