誰かを、何かを、支援する時、人はどんな動機で行為に移るのでしょうか。
これらをひっくるめた感情が、「困り方への共感」ということになるかと思います。
「助けてあげたい、という感情の(本質的な)強さ」と換言することもできるかもしれません。
そしてもう一つ。
支援対象者やその関係者との「つながりたい感」が、支援行動には影響していると思うのです。現実的には。
たとえば、僕は青山社中の後援隊メンバーですが、青山社中の活動内容だけを見ると、「世界で戦える日本を創る」「自立・自律を目指す人材の育成」など、他にも同様の活動をしているところもありそうです。
もちろん、他の皆さんも素晴らしい活動をされているのでしょうが、すべてのところに支援しているわけではなく、「青山社中に(支援する)」という理由があるわけですよね。
僕の場合…たまたま友人から話を聞き、青山社中の存在を知ったんですが、僕が信頼している、あの人も、この人も、青山社中のことを知っており、かつ、応援している!と、数珠つなぎに「青山社中」が話題になって、「こりゃ応援しなくちゃっ!」って気になりました。
この気持ちになる本質は、信頼している人たちとこれからもつながっておきたい、信頼している人が応援している人ともつながりたい、そして、その人たちを通じて、自分が(物理的に)できないことが叶えられると嬉しい!って心なんだと思います。
震災支援に寄付をする、なんかの行動も、「つながりたい感」の表れだと思うのです。
震災を気にかけているし、これからも気にしていきたい、出来ることがあったらしていきたい、って気持ちは、「つながりたい感」と表現できるかと。
相手に見返りを期待するのではなく…対象の事柄に対しての「関与者」でありたい、という気持ちとでもいいますか。
studygiftの場合…
学費に困っている、だけであれば、世の中にたくさん同じような人がいるかと思います。
ですので、「困り方への共感」だけでは、studygiftに支援する、という行動を起こす理由にはなりません。
studygiftでの案件と「つながっていたい」何かが、そこにあるかと思います。
僕自身、学生時代、阪神大震災のときに、ボランティアに行きました。震災からちょうど1ヶ月後でした。
「困り方への共感」の部分では、震災そのものに関わる部分は当然として、「こんなときはフットワークが軽い学生が助けなきゃ」や「震災から1ヶ月たち、一過性のボランティア熱が冷め始めている今こそ人手が足りないだろう(その推測は正解でした)」という思い。
「つながりたい感」は、しばらく震災のことを気にかける自分でいたかった、という思い。
「困り方への共感」が、「つながりたい感」をはるかに上回っていましたが、後者の気持ちもゼロではなかったと思います。だから両者の掛け算で、行動に出る自分がいたわけで。
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