マスコミが伝える「フクシマ」に大きな違和感がある。先日、自民党の佐藤正久参議院議員が、Twitterでこんなことをつぶやかれていた。 http://twitter.com/#!/SatoMasahisa/statuses/94194626457640960
何故「フクシマ」なの?昨日、政府の東日本大震災復興対策本部から先に纏められた復興構想会議の提言書が配布された。その中で福島をわざわざカタカナで 「フクシマ」と記載。広島や長崎への米国の原爆投下と政府は同一視しているのか?政府文書でこれはないのでは?どこの国の政府か?県民は悲しい。
http://twitter.com/#!/SatoMasahisa/statuses/94194626457640960
どうやら政府文書までもが、福島を「フクシマ」と表記しているらしい。いつから福島は、「フクシ」マになったのだ。原発の諸問題を扱うマスコミの表記にも「フクシマ」をよく見かける。漢字表記である「福島」とカタカナ表記である「フクシマ」の使い方の違いを定義しているマスコミはあるのだろうか・・・はなはだ疑問である。
カタカナ表記である「フクシマ」を使っている理由は、原子力という問題で世界的に有名になってしまった都市=「ヒロシマ」「ナガサキ」と同等に扱いたいがための「フクシマ」だろう。福島が、原発の問題でこんなに世界的に有名になっちゃったから「フクシマ」って使ってた方が、なんかジャーナリズムっぽくねぇ?くらいの軽い感覚であるのが本当のところではないだろうか・・・。
世界から見たら福島は、「FUKUSHIMA」である。「福島」の表記を漢字とカタカナで使い分けているのは、日本国内の私達だけの話である。政府やマスコミが「フクシマ」というカタカナ表記を多用する根底には、「ヒロシマ」「ナガサキ」と同等の世界的問題になっちゃった時代を生きているという「たちの悪い昂揚感と被害者意識」がある。ハッキリというが、無責任である。ほんと、みんな馬鹿野郎っである。
広島や長崎が自らを「ヒロシマ」「ナガサキ」と表記する背景には、核兵器根絶のための世界への強いメッセージがある。核兵器に一瞬にして支配され「広島」「長崎」という名前を奪われた悲哀がある。広島県人や長崎県人の皆さんが自らの地を「ヒロシマ」「ナガサキ」と表記するときの覚悟を「フクシマ」と簡単に表記してしまう人達は、わかっておられるのか・・・。
「ヒロシマ」「ナガサキ」「フクシマ」と並べたいだけなら即刻辞めるべきである。福島原発の現場で働いておられる方々は、「福島」を「フクシマ」と呼ばせないために奮闘されているわけである。「福島」を「福島」のままにして欲しいと願って、いまもなお沢山の方々が避難所暮らしを続けておられる。「たちの悪い昂揚感と被害者意識」で表記されている「フクシマ」は、そんな方々の毎日に泥を塗るようなものである。
何度も言うが、福島原発の問題と「ヒロシマ」「ナガサキ」は、違う。同じ視点では語れない。戦争と震災。原子爆弾と原子力発電所。加害者であるという国家としての覚悟も語らないうちに、福島を「フクシマ」と自らが表記するような政府を信用できない。「福島」という名前を奪う権利は、いまの政府にはない。
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。