震災対応 ~リスク管理とその現実、アシストの場合~

2011.04.14

仕事術

震災対応 ~リスク管理とその現実、アシストの場合~

喜田 真弓

2011年3月11日、太平洋三陸沖を震源としてマグニチュード9という大地震が発生し、その後20メートルを超える津波が襲うという大災害が日本を襲った。さらにはそれによって福島原子力発電所が停止、戦後最大の自然災害は世界に放射能汚染をもたらすほどの規模となり、発生から1ヵ月たった今でも予断を許さない状況が続いている。

アシストではかねてから地域密着型サービスの拡充と災害時のリスクを考慮し、ソフトウェア製品に関する各種問い合わせ対応を行うサポートセンター機能の地方分散を行ってきた。当初は東京だけであったサポートセンターを、2003年に大阪、そして2007年には宇部にも開設、現在東京100名、大阪/宇部はそれぞれ20名規模のメンバーでサポートを提供している。これにより東京に災害が起きても大阪や宇部のサポートセンターを経由することで全国のユーザ企業に対するサービスへの影響を最小限にとどめることができる。

3月11日、東京市ヶ谷にあるアシスト本社も震度5という大きな揺れに見舞われた。止まったかと思うとまた揺れる地震に、社員は、1995年の阪神淡路大震災の後に会社が社員の数だけ用意したヘルメットを初めてかぶった。かぶっていない社員には、社長ビル・トッテンの「そこの人、ヘルメットかぶりなさい!」という声が飛んだ。その日はJRや私鉄が運休し、多くの社員が数時間かけて徒歩で帰宅したり会社への足止めを余儀なくされた。

震災発生時、アシストのサポートセンターがどのような行動をとったのか。サービス事業部事業部長の星はこう語る。
「当日、私は子供の中学校の卒業式で休んでおり、ちょうど家にいる時に地震が起こりました。地震発生直後から電話はつながりにくい状態となり、会社ともなかなか連絡がつきません。ようやく連絡がとれたのは2時間ほどたった午後4時過ぎでした。家の固定電話はもちろん携帯電話もつながらず、公衆電話はこうした状況でもつながる可能性が高いというのを聞いていたのでコンビニでテレホンカードを買って、家の近くの公衆電話に並び、ようやく会社につながったという状況です。このような状況ですから、お客様からの電話も市ヶ谷のサポートセンターにはつながりにくい状態であったと思います。そのため、市ヶ谷のサポートセンターのマネージャは、ISMS(情報セキュリティ管理システム:個別の問題ごとの技術対策の他に組織のマネジメントとして、自らのリスク・アセスメントにより必要なセキュリティ・レベルを決め、プランを立ててシステムを運用する)で準備していた事業継続計画に基づいて、すぐにサポートセンターの電話受付を大阪へ切り替えていました。それにあわせて24時間サポートの対応について西日本サポートセンター、中日本支社ならびに西日本支社の技術マネージャと、夜間と翌日以降の土日のサポート体制について相談しました。サポートセンターの業務ではお客様から連絡を受けてサポートを提供しますが、単に製品サポートの提供だけでなく、iDoctor*のようなお客様のシステムの監視サービスや、ハードウェアやOSなどサポート窓口を一本化するサービスも行っているため対応フローやルールが複雑化し、簡単にサポート拠点のすべての機能を市ヶ谷から大阪へ移すことができない状態でした。そのため、まずは11日の夜間のサポートだけでも大阪のサポートセンターのメンバーが受付対応するよう、調整してもらいました」
 *iDoctor:iDoctorとはOracleデータベースの稼働状況をツールにより監視し、障害の兆候が見られる場合の連絡、障害時の連絡、警告内容の対応方法をアドバイスするサービス。

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