「教育産業」というカテゴリ、日本社会でそれなりに言語としては認知されているかと思います。 しかし、その認知下での「教育産業」の中の、一個人として、日本社会で本当に教育産業が成立しているか、というと、「否」と答えます。 その理由は…教育の本質について考える材料にも。
受験だけではない、保育だけではない、真の意味で教育してくれる民間機関に通わせたい!という声を聞いたことのある方、あるいは思われている方も多いでしょうが、現実「行動」に移るときに、「教育」という抽象的な価値に、(それこそ)「投資」する方はほとんどいないのが現実です。
会社に入り現実を見たり、同じような生業を行っている方に話を伺うにつけ、益々そう感じるようになりました。
教育産業がなぜ日本に根付いていないか、その理由として3つ挙げます。
1)「教育」が本当の意味で身のあるものになるには、教育行為を始めるときに気づいていない価値を体得させることが必要だから。
教育そのものがはらむことであって、インサイトナウの記事でも何度か触れてきましたが、内田樹氏の書籍に出てきた考え方をパクっています(苦笑)。
例えば…私見も混じった例で恐縮ですが。
ビジネスを考えるときに、ロジスティクス(物流)について着目するのは非常に重要だと思っています。
アマゾンも「ネットで何でも注文できる(そして、注文するときに注文しやすい)」という点にばかり注目は集まりますが、最大の特長の一つは、早く手元に本を届けられる物流の仕組みを構築していることにあること。
そう言われたらわかると思います。
しかし、「よし、ビジネスの勉強をするぞ!」と思い立ったときに、経営学、マーケティング、会計…は目に付きやすいですが、「ロジスティクス(物流)」と言われて、勉強する気になるでしょうか?多分多くの方は「ピンとこない」という感想になるかと思います。
このような価値に心底気づかせてあげることが教育の本質です。
しかし、この例で述べるなら、たとえば「ビジネス分野別マスターコース」という講座を作ったときに、「ロジスティクス」は人気講座になるでしょうか?…恐らくはならないんじゃないでしょうか。
だって、その価値に気づいていないわけですから。
これが、民間機関と、真の意味での教育的行為とのミスマッチの部分なのです。
2)「人に聞く」行為の返答が無償で行われると思いがちな日本人の傾向があるから。
1)の部分の教育行為についての理屈を認め、「じゃあ今気づいていない価値に気づかせてください、先生!」という“教えられる側”が現れたとしても、もう一つ壁があり…
日本には、どうも「人に聞くのはただ」「返答がないのは失礼」という文化が蔓延っていると強く感じるのです。
関係性がすでにある人に何か聞いてそれに答える。これは「フツウ」です。
しかし、関係性がない人にいきなり質問行為をして、それに答を得る行為は「フツウ」ではないんです。
質問者は「とてもとてもありがたい」と思わなければいけないんです。
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教育とビジネス
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