日本の社会に、「情報流通」というコトバが世間に流通しはじめたのは、1998年あたりだったと記憶する。1999年7月のNTTの新体制スタートでは、「グローバル情報流通産業」を目指すと宣言。あれから10年が経ったわけである。
情報流通量の莫大な増加を推し進めている「パーソナルメディアに限った選択可能情報」は、いつでも、どこでも取得しにいける「検索+格納可能な情報」であることを私たちは知っている。そうなると、情報鮮度への感覚が鈍る。情報取得と行動の不一致が起こる。情報を故意に無視しているというより、幅広い情報に対して「無感覚」になっている受け手を増加させている。
情報は、関心が生じたときに「こちらから取得しにいくもの」という意識が定着したら、マス広告のような、プッシュ型の広告情報は、さらに意義をなくすことになる。広告は、目には入っているけど、無感覚であるがゆえ、無意識にスルーしている。テレビは点いているけど、広告は届いていない。
自分にとって興味のない情報には、有益でない情報には、無意識にオフスイッチを入れる。そんな機能を、パーソナルメディアは、情報の受け手である私たちに付加させたのだ。
耳には、入ってきているけど、情報として処理されない。
目には、入ってきているけど、自分の中で情報化されない。
視聴率でも、視聴質でも、広告効果を送り手の論理で測定・予測できない時代になっている。結局は、動いたかどうか、行動に結びついたかどうか・・・費用対効果=ROIこそが、選択可能情報量爆発的増加の時代の広告指標となるしかない。
インターネットを開けば格納されているはずであろう広告コンテンツを、テレビで真面目に視聴して、行動へと結び付けていくような、従順な視聴者など、もういない。垂れ流される広告を文化だというクリエイティブ呆けもお払い箱だろう。
消費情報量を遥かに超える選択可能情報量約532倍の世界では、情報の受け手にとって、その情報達を結びつけて、有意義なものに見せようとする「編集の価値」が相対的に高まる。そこで、重要なのは、情報を拡げて伝えるのが得意な「映像」よりも、情報を編集して集約していく「言葉」である。
タイトルの時代。コピーの時代。シナリオの時代。
無駄にならない、無視されない、
そんな言葉を紡ぎ出すセンスが、
広告に、企業経営に何よりも必要な時代になったのだと考える。
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。