【弊著・予告編】哲学者の三木清は、「成功は量的な相対評価に過ぎず、一方、幸福はオリジナルな個性である」と喝破した。過度な競争と捨てられない成功崇拝が、“職のサスティナビリティ”を脅かす。
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“働くこと”は、人類史上、
永らく、「食うためにやらざるをえない苦役」でありました。
また、キリスト教が全盛の中世ヨーロッパでは、
労働は「神の恩寵を示すための召命」であるとの新しい意味が付加されました。
そして近代に至り、
働くことは、少なからず「自己実現」のためである、との認識が広がってきました。
いずれにしても、「人はパンのみに生きるにはあらず」という命題は、
いまなお、人類にとって重大な関心事であり続けるわけですが、
現代に働く私たちは、はたして、
「衣食足りて、“働く”を知る」ようになったのでしょうか――――?
平成ニッポンに生まれ合わせた私たちには、人類史上、
かつてないほどに自由や平和があり、また物質や富に恵まれている。
科学技術はさまざまに娯楽や余暇を与えてくれ、
また、(肉他的・知的)労働もいろいろと軽減してくれる(ハズ)。
それなのに、それなのに、あゝ、それなのに・・・・
「わが仕事、いっこうにラクにならず」。
その根源的な「WHY」を、きちんと考えなおしてみようというのが、
拙著の最終章「仕事の幸福」の60ページなのです。
まぁ、そこにはいろいろ書いたわけですが、
仕事の幸福を得るために肝となる観点は、
1)成功と幸福は違うことを認識すること
2)みずからの欲望をコントロールする“心のマスター”となること
の2点に集約できると思います。
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イギリスの思想家バートランド・ラッセルは『ラッセル幸福論』で、
幸福とは何かを語る前に、
何が人びとを不幸にするのかを本の約半分を使って語っています。
彼が言及した不幸の原因の主なものは、
競争、興奮、疲れ、ねたみ、世評に対するおびえです。
その一部を引用すると、
「人びとが生存競争ということばで意味しているのは、実は、
成功のための競争にほかならない。
この競争に参加しているとき、人びとが恐れているのは、
あすの朝食にありつけないのではないか、ということではなくて、
隣近所の人たちを追い越すことができないのではないか、ということである」。
「(ねたみの本質は)ものをそれ自体として見るのではなく、
他との関係性において見ることにある。
たとえば、私が不自由しないだけの月給をもらっているとしよう。
私は満足すべきだが、どう見ても私よりも優秀だとは思えないような人が
私の二倍の月給をもらっていることを耳にする。
私がねたみ深い人間であれば、
自分の持っているものから得られる満足は、たちまち色あせてしまう」。
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新著サマリー
2007.08.07
2007.07.27
2007.07.21
2007.07.14
2007.07.11
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。