/近世初期のパスカルは、ルネサンスのダヴィンチにも並ぶ万能人。おまけに人文主義的で、ユーモラスな機知にも富んでいて、読んでいて楽しい。とはいえ、あまりに天才的すぎて、その時代背景、思想潮流を知らないと、彼がなんの話をしているのか、わかりにくいかもしれない。/
「ルターやカルヴァンが離脱したように、当時のカトリック神学はあまりに通俗化していたので、内部からも批判されたのは当然だったでしょう」
パスカルは父の遺産で暮らしながら、1654年にアルノーのジャンセニズムを擁護し始め、匿名で『地方人への手紙』を書いた。これはパリの住人から地方の友人に宛てた書簡の形で、イエズス会を機知で揶揄している。当時、ジャンセニズムはイエズス会とドミニコ会から非難されていたが、最初の四通の手紙は、ジャンセニズムとドミニコ会はむしろ同じだと指摘していた。イエズス会は神の恩寵だけで救われるとしていたが、ジャンセニズムとドミニコ会は、人間が「pouvoir prochain」、つまり救いに値する準備能力、前もって持つ、あるいは与えられなければならない、と考えていた。
「善行によるものでなくとも、彼らはカルヴァンの予定説のように、救われる者は前もって限られている、と信じていたのですね」
五通目の手紙で、パスカルは今度はイエズス会のプロバビリズムを批判した。それは現代の確率論、偶然性の推定ではなく、語源的な意味で、証明されうるかどうか、に関するものだった。イエズス会は、トラブルを避け、多様性に合わせるために、自分たちの行為を支持する権威に従うべきだ、と主張した。しかし、パスカルは彼らのカスィスティークを皮肉まじりに賞賛し、「素晴らしい! やりたいことを支持してくれる権威を見つけさえすれば、やりたいことは何でもできる」と言った。
「イエズス会は、自分たちが循環論法に陥ってしまっていることに気づいてなかったのでしょうね」
パスカルは科学や数学のセミプロの好事家でもあり、当時の一流の学者とも交流していた。ガリレオの弟子トリチェリは1643年に水銀柱の上昇限界から大気圧を発見した。パスカルはこの実験を再現し、水銀柱より上の空間は真空である、と信じた。さらに、密閉容器内の定圧法則を適用して、ブースターポンプを発明した。
「いわゆるパスカルの原理ですね」
彼は、『地方人への手紙』を執筆中、数学者フェルマーとのメールによる議論を通じて、現代的な意味での確率にも興味を持っていた。そこでは、中断されたゲームにおける賭け金の公平な分配の問題が採り上げられた。彼らは、確率が一定であるという仮定のもと、期待値理論を確立した。
「それって、パスカルの等圧ポンプの流水量計算に似ていますよ」
デカルトは、対象を明晰判明なものに限定し、理性によって唯一解が導き出されると信じていたが、パスカルはこれを幾何学的精神として否定し、曖昧であっても全体を直感的に把握する感覚的精神を提唱した。「人間は考える葦である」という言葉で、彼はたしかにデカルトのように、たとえ体が弱くても私たちの心は宇宙をも含むことができる、と想定した。しかし、私たちが考えるべき宇宙は、低次の幾何学的物体ではなく、高次の神の恩寵だ。つまり、パスカルは、物体、精神、神の恩寵という三つの秩序を考え、感覚的精神で、神の恩寵という漠然とした期待を掴み、信仰に賭けた。
「ジャンセニストである彼にとって、物体なんかまったく無力で、「宇宙」とは、神の恩寵のことだったのですね」
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元テレビ朝日報道局ブレーン
哲学
2024.03.14
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2024.11.24
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。