コロナを経て社会が変革期にあるいま、個人のリーダーシップが果たす役割はますます重要になっています。 かつてのルーマニアや戦時中の日本を例に、家族にさえ本音を言えない社会を生きた人々の実体験を通じて、私たちが当たり前と思っている「平和」と「自由」は、いま失われようとしています。 現代社会における多様性と自由を尊重するために、リーダーとして何ができるのか、一緒に考えてみませんか? この記事を通して未来の可能性を一緒に考える機会を提供いたします。
家族がスパイ?!
想像できるでしょうか。
自分が思ったことを、たとえ家族にも言えない現実を。誰もみないであろうノートに思ったことを書くことすら、命懸け。誰にも本音を話すことのできない社会を。
「まさか、そんなことあるわけないでしょ」と思いますよね?
私も、そう思っていたのでした。
恐怖政治の実態~ルーマニア
しかし、いまから35年前のルーマニアでは、確かに現実として「本音」を家族にすら言えない時代があったのです。
35年前(1989年)は東西冷戦。
ルーマニアは旧ソ連の衛星国として、共産主義政権が国を牛耳っていました。厳密には、チャウシェスクという独裁者がルーマニアを支配していたのです。
彼は、巧みな外交で共産国でありながら西側諸国を味方につけ、国内では諜報員制度を使って国民を監視させ、家族でさえも信頼できない社会を築き上げました。
まさに恐怖政治。
その後、東欧諸国で自由化を求める流れがおき、ルーマニアの独裁政治は四半世紀で終止符を打ちました。
その後、自由を手にしたルーマニア国民は幸せになったのか、といえばそうではなかったようです。
ハッピーエンドにならない革命
何より、諜報員制度によって家族関係すらもズタズタに引き裂かれた中で多くの人が身も心も傷を負ったのでした。
小説『モノクロの街の夜明けに(原題は『君を裏切らなくてはならない』)』には当時のことが詳しく書いてあります。フィクションではありますが、著者のルータ・セベティスは綿密な取材を経て、17歳の少年がスパイとなったプロセスを描いています。
特に衝撃的だったのは、彼女が小説を書くにあたって取材に応じた一般市民の人が「名前を出さないでほしい」と言ったということでした。
取材は、革命から四半世紀経ってから行われたはずにもかかわらず。
四半世紀を超えてもなお、当時のことを語るにはあまりにも重すぎる十字架を背負っている人々がいる。
この現実に、私は愕然としました。
「自由」を失うということ、そして人と人との信頼を引き裂くという行為に時効はなかったのです。
現実を生きるということは、時に想像を絶した闇に直面するということなのかもしれません。
そして、この日本で自由に想いを発することができるのはどれほど幸せなことなのだろうか、と私は思うのです。
自由は空気のように見えずに、当たり前に存在しています。
けれども、全く当たり前ではなかったことが、たった35年前のルーマニアでも起きており、さらには80年前の日本でも起こっています。
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2010.03.20
2015.12.13
「感動の先にビジョンがある」を理念として、ビジョンを持って目標を実現する「3ヶ月メソッド」を考案。 33歳で第一子を亡くし逆境から立ち直った経験をもとに、アメブロ、インスタグラム、Facebook等で継続的に発信を行なっている。 人の強みをみつけることを強みとし、イベントやコンテンツ制作のプロデュースなどを得意とする。 ▼アメブロ https://ameblo.jp/moharinayasuko ▼インスタグラム https://www.instagram.com/hanayasuko_1030/ ▼Facebook https://www.facebook.com/nagashima.yasuko