スポーツへの参加障壁をなくし、誰でも「勝つ」可能性を秘めたスポーツが「ゆるスポーツ」 今では、企業でのイベントや企業研修にも取り入れられています。世界ゆるスポーツ協会の萩原拓也様に、ゆるスポーツの魅力とこれからの可能性についてお話をうかがいました。(聞き手:猪口真)
萩原 バスケでは、3ポイントの解釈の変化がプレイヤーの間口を広げましたね。
猪口 そのような感覚でゆるスポーツを作れたら楽しいです。萩原さんはそれを毎日考えているわけですね。
萩原 僕は基本的に楽しくないことはしないようにしています。小学校に行って話す機会があるのですが、そこでは自分をモデルケースの一つだと思って話しています。楽しくないことは絶対にしないというポリシーでやってきて、それでどうにか生活できている。それができるのは、周りにあるルールの解釈を自分の中でより良く、より過ごしやすいように変えてきたから、工夫してきたからです。生きるためのツールで、メソッドとしてゆるくする。解釈を変えたりルールを変えたりすることが重要だということを伝えていきたいです。
猪口 今までのスポーツにはない、「考え方を変える面白さ」というのはすごく良いメッセージですね。
萩原 ドッジボールのルールを変えてみたり、ボールをラグビーボールにしてみたり、小学校の時には皆そういうことをやっているはずです。ところがプレイではなく余白という意味での遊びの部分がだんだん減ってきてしまって、それが生きづらくする要因になっているのだと思います。
「ゆる」という言葉を大事にしたい
萩原 私たちは、「ゆる」という言葉もとても大事にしています。海外でも「YURU SPORTS」といっているのですが、「ゆる」というのは曖昧な言葉です。良い意味もあれば悪い意味もある。良い意味では楽しそう、親しみやすそう、カワイイという意味もあって、悪い意味では適当そう、雑そうという意味もある。
僕は言葉の多面性がすごく大事だと思っています。ここ最近「ダイバーシティ」は市民権を得て認められていますが、「多面性」は認められない世の中になっているような気がします。人には悪い面もあれば良い面もあって、イライラした時には嫌な面が出るかもしれないし、充実している時には良い面が出るかもしれない。そういうものなのに、一つを見て、この人は全部良い人、この人は全部悪い人と断じてしまう。そうした決めつけがあって、多面性に対して許容されていない時代だと強く感じます。企業、ブランド、商品に対しても、そして人に対しても多面性が認められていないなと。
僕は、日本語は多面性の言葉だと思っています。京都の「いけず」のように、一つの言葉で同じことを言っても、どのように言うか、いつ言うかで、捉えられ方や意味がまったく変わってくる。「ゆる」という言葉も多面性があるからこそ、一つの日本の良さとして、その多面性も含めて海外に伝えたいですね。多面性が許容されて、いろいろな見方を考えられるのが日本文化の良さだと思うので、「世界ゆるスポーツ協会」は英語にしても「WORLD YURU SPORTS ASSOCIATION」で、「ゆる」という言葉を大事にしています。
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