失敗学(5)全社員に告ぐ(後編)

2007.04.30

経営・マネジメント

失敗学(5)全社員に告ぐ(後編)

橋口 寛

2000年に、雪印が引き起こした食中毒事件。 しかし、これは雪印にとって初めての大規模食中毒事件ではありませんでした。 さかのぼること45年。 1955年に、雪印は大規模な食中毒事件を起こしたことがあったのです。 しかし、経営陣によって取られた対応は、まるで違ったものでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、過度な鮮度競争は、「D-1」を超えて「D-0」へと雪印乳業を駆り立てていきました。
つまり、製造当日出荷、当日配送、当日消費を実現したのです。

「D-0」を実現するためには、午前0時をまわった瞬間に製造を開始します。そして製造されたものからドンドン出荷していきます。
当日午前8時にスーパーが開店した時、そこには、当日に製造されたばかりの「新鮮」な牛乳が並んでいます。消費者は喜んで「新鮮」な牛乳を買っていきました。

しかし、品質検査の結果が出るのは、製造から16時間後、つまりどんなに早くても当日の午後4時です。仮に食中毒菌の汚染が見つかっても、既に問題の牛乳は既に消費された後で、手遅れ。
これが、過当競争の結果もたらされた「D-0」の恐怖なのです。

この過度な鮮度競争に突入していった時期こそが、「全社員に告ぐ」の配布が中止された時期でした。

2000年の食中毒事件時の石川社長は、八雲事件を直接知らない初の社長でした。
そして、生産現場の第一線を担う36歳以下の社員は、「全社員に告ぐ」の配布を受けていない世代でした。

2000年の食中毒の原因は、北海道大樹工場の停電によって放置された原料脱脂粉乳を再使用してしまったことから始まっています。
これは、実は45年前の八雲事件とまったく同じ原因だったのです。

しかし、まったく同じ原因で引き起こされた大規模食中毒事件に対する経営陣の対応は、当時とはまったく逆のものでした

2000年の雪印の対応は遅れに遅れました。
挙句、石川社長はテレビカメラの前で「私は寝てないんだ!」と言い放ち、決定的な信用失墜へとつながりました。

先人が痛みとともに得た教訓は、
完全に風化していたのです。

この一点を思う時、私はいつも何とも言えない気持ちになります。
45年の時を隔てて繰り返された同じ過ち。
しつこいほどに語られ、それでもやがては忘れ去られた失敗の教訓。

失敗の教訓を、いかにして組織の中で長く確実に語り継いでいくか。
いかにして、風化させないでいられるか。

それは、ひとり雪印乳業だけの問題ではなく、すべての組織とその構成員たる我々に与えられた、重大な命題なのだと思うのです。

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