/アテネ市にあって、占領軍スパルタ士国と内通し、傭兵を斡旋した黒幕は誰か。プラトンも、クセノフォンも、都合の悪い政治的な話はすべて黙秘し、彼をたたの風変わりな哲学者に仕立て上げたが、はたしてそれが実像だったのか。/
前405年、アテネ市帝国は全面降伏。占領軍は、亡命していたクリティアスを帰国させて、その管理を任せる。しかし、彼は、先の暴動のトラウマで、反対勢力数千人を追放し、同僚の政治家ですら処刑。04年には、小アジアに逃げていたアルキビアデスも暗殺。しかし、亡命者たちは西隣のテーベー士国で反政府軍を組織して、03年、アテネ市国に突入。独裁者と化していたクリティアスを殺害し、かろうじて民主政を回復。これ以上の憎悪と内戦を避けるため、忘却令(アムネスティア)によって、過去に遡って訴えないこととした。
しかし、復興は進まず、不満はくすぶっていた。おりしも、01年、ペルシアで王弟キュロスが反乱を起こし、スパルタ士国に傭兵派遣を依頼した。終戦で失職した軍人や、貨幣経済で没落した農民、荒廃したギリシアを見限った若者たち、一万数千人がこれに応じた。その中には、クセノフォンら、かつてアルキビアデスやクリティアスを応援していたために、もはや立場も未来も失った多くのソクラテスの弟子たちも含まれていた。
反乱軍はティグリス河で正規軍十万と激突。首謀者キュロスも戦死、反乱軍は瓦解。にもかかわらず、重装歩兵のギリシア人大傭兵部隊は突進を続け、翌朝、気づけば、スパルタ軍隊長も失ったまま、敵地六千キロの奥深くに取り残されていた。掃討軍が残党狩りをする中、クセノフォンが代理隊長となって、帰国を図る。しかし、彼らが黒海沿岸にたどりついたとき、もはや半数以下の六千名しか残っていなかった。途中で掃討軍に捕獲された者たちは、烙印を捺され、手足を切られ、奴隷として死ぬまで働かされたという。
しかし、六千名にしても、これはアテネ市国にとって脅威だった。彼らが帰国すれば、ペルシア大帝国は、彼らの処分を求めて、再びアテネ市国に攻め込んでくるだろう。そうでなくても、連中はアテネ市民とはいえ、占領軍スパルタ士国配下の傭兵であり、とくにその代理隊長クセノフォンは、アルキビアデスやクリティアスに続いて、アテネの民主政を廃して軍政を敷く可能性の高い危険人物だ。そして、そもそもアテネ市にあって、占領軍スパルタ士国と内通し、傭兵を斡旋した黒幕は誰か。占領軍の手下だったクリティアスの師、ソクラテスではなかったのか。真偽は、わからない。その後のプラトン(クリティアスの従弟)も、クセノフォンも、都合の悪い政治的な話はすべて黙秘し、彼をたたの風変わりな哲学者に仕立て上げたが、はたしてそれが実像だったのか。
哲学
2022.11.02
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。