/アンソニー・シーガルは、無意味に生きることに絶望する。だが、死ぬ前に、いちど時速200マイルで飛ぶというのを、自分自身で見てみることにした。そして、彼は2000フィートの上空から、海へ真っ逆さまに急降下する。ところが、そのとき、なにかが、もっと速く、彼の横を追い抜いていったのだ!/
バックも、その後、一連のニーチェ風の壮大な幻想物語にひたったが、2000年代になると、擬人的フェレットたちを登場人物として、自分でイラストを付けた生活感のある短編集を楽しんで出していた。ところが、2012年に瀕死の墜落事故を起こす。この体験が、放置されていた『ジョナサン』のエピローグを第四部として改めて完成させることになる。
だから、もともとのエピローグに新たに加筆された第四部後半は、その前半とプロットも文体も大きく違っている。話も、エピローグのジョナサン教団の確立から、いきなり200年後に飛ぶ。そこで、アンソニー・シーガルが教団地域学鳥に問い質す、なんでこんなことをやっているのか、と。すると、地域学鳥は、その名を聖とされたる大ガル・ジョナサンは、飛行こそ生きることの奇跡であると、と答えようとするが、アンソニー・シーガルは、それを遮り、生きることは奇跡なんかじゃない、ただの無意味だ、それに、あんたのジョナサン・シーガルは、時速200マイル(320キロ、ジェット旅客機の離陸速度)で飛んだだって? それなら、それを見せてくれ、そんなのはおとぎ話だ、と言い出す。
キリスト教を知る者なら、この懐疑に「ヨハネ福音書」20:25を想起するだろう。イエスの復活を聞いても、ただトマスだけは、イエスの脇腹の槍傷に指を突っ込んでみないかぎり、そんなことは信じない、と言い張った。また、ここでわざわざアンソニー・シーガル、ジョナサン・シーガルと、同じファミリーネームを共有させている。ジョナサンは聖別されているのではなく、アンソニーと同じグレート・ガル(大バカ者)の兄弟だ。
ニーチェよろしく、神は死んだ、死んでいた、いや、そもそも存在さえしていなかった、とばかりに、アンソニー・シーガルは、無意味に生きることに絶望する。だが、しかし彼はまた、そこに答えを可能性を見出し、それに賭けた。死ぬ前に、いちど時速200マイルで飛ぶというのを、自分自身で見てみることにしよう、と。そして、彼は2000フィートの上空から、海へ真っ逆さまに急降下する。ところが、そのとき、なにかが、もっと速く、彼の横を追い抜いていったのだ!
飛ぶことの意味は、無意味な生きることに意味を与えることだ。飛ぶことの愛は、生きることを愛することだ。ほら、生きるのは、飛ぶのは、楽しいだろ、と、ジョナサン・シーガルはアンソニー・シーガルに言った。ただ、それは自分自身、時速200マイルで飛んでみようとするガルだけの特権なのかもしれない。
解説
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2023.03.31
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。