いまさら『かもめのジョナサン』を読み直す

2022.10.16

ライフ・ソーシャル

いまさら『かもめのジョナサン』を読み直す

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/アンソニー・シーガルは、無意味に生きることに絶望する。だが、死ぬ前に、いちど時速200マイルで飛ぶというのを、自分自身で見てみることにした。そして、彼は2000フィートの上空から、海へ真っ逆さまに急降下する。ところが、そのとき、なにかが、もっと速く、彼の横を追い抜いていったのだ!/

では、ここで学ぶべきこととは何か。ジョナサンは、エルダー(長老)ガルのチャンに聞く。チャンは、それを説明しようと、時空間の瞬間移動をしてみせたものだから、ジョナサンは、それが学ぶべきことと勘違いして、すっかりそんな高等技術の虜になってしまい、それを身につけていく。だが、やがてチャンは「飛ぶことの意味、愛に取り組み続けよ」と言い残して、次の世界へと消えて行ってしまう。

その後も、ジョナサンは飛行訓練を重ねるが、チャンのように次の世界へはシフトできない。彼の飛行には「愛」が無い、意味が無いのだ。ただ飛ぶだけ。どこまでも飛ぶだけ。この飛行を、想像力、芸術、科学、経済、政治、等々、なんと言い換えてもいい。ただむやみに飛ぶだけ、野放図な想像力、芸術、科学、経済、政治、等々、その技術ばかりが向上し、規模のみが拡大しても、なんの意味もない。それどころか、ただ膨張に膨張を重ね、やがて自滅的に破綻するだけ。

飛ぶことの意味、愛について考え、それを求めて、ジョナサンは、帰ることにする。しかし、それは、彼を放逐した群れに戻る、ということではない。むしろ、彼と同様に群れを放逐されたアウトキャストを導くため。実際、「ファークリフ」には、アウトキャストされたフレッチャーがいた。そして、その後も、そのようなアウトキャストの若者たちを仲間に取り込んでいく。

彼は言う、我々ひとりひとりが、グレート・ガル(大バカ者)という思想の一部だ、と。そして、彼は、ある日、彼と彼らを追放した群れへ行くと言い出した。若者たち七羽も、これに付き従ったが、四千羽の群れは、当初、この追放という掟を破った者たちに、無視を決め込み、無視を破る者も追放する、と宣言した。しかし、ジョナサンたちは、ただ、自分自身、つまり、それぞれの中のグレード・ガルを気づかせるだけ、と嘯き、いつものような飛行訓練を続けるだけ。果たして、それが群れの中の幾羽たちの心を捉え、みずからアウトキャストに甘んじて来る者も出てくる。そして、やがてジョナサンは、フレッチャーに、他の群れにもまだ多くいるアウトキャストに思いを致す愛を求め、消えていく。

ここで初版は終わっている。フレッチャーもまた、アウトキャストへの愛を求め、また、次のフレッチャーが出て、ファミリー(類)としてのグレート・ガルが、絶えることなく飛び続ける、という終わり方だ。しかし、これが、「愛」を問うチャンの課題に対する答えなのか。個としてではなく、類として生きる。それがフロック(群れ)であろうと、フロックを嫌うエリート(すっ飛びバカ)の集団であろうと、結局のところ、ただの全体主義への逃走ではないのか。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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